今回の詩歌を読む読書会は、この岩波文庫が課題図書。僕は翻訳詩が苦手で、ほとんど読んだことがないし、たまに見たとしてもそこに「詩」を感じたことがない。
今回外国の詩が課題図書に決まり、困ったことだと思いながら読み出したら、意外にも面白かった。対訳だから英文の詩を参照することができて、理解の助けとなったのが良かったのかもしれない。
エミリ・ディキンソン(1830-1886)が、生前にはほとんど詩の発表の機会がなく、また自分の家や街からほとんど離れることもなく、死後発見された膨大な詩稿で高い評価を受けるという、まさに詩人の原石みたいな人だからこそ、伝わるものがあるのだろうか。
彼女の詩は短くて、徹底した認識や的確な観察が歌われていることが多い。これらは、あいまいな感情の表出ではないから、言語の壁を飛び越えてこちら側に迫ってくるのだ。
それでも、やや古風な逐語訳は、理解の妨げにはなっている気がする。引用するのは気に入った詩篇の翻訳だが、それを僕なりに思い切って意訳したものを並べてみる。浅田彰の『逃走論』が、かつてブームとなり、今でも話題になっているのを見ると、この詩篇のテーマが古びていないことがわかるだろう。
「脱走」という言葉を聞くと/わたしはかならず血がさわぐ、/不意の期待、/飛び立つもの腰!
大きな牢獄が兵士たちに/打ち壊されたと聞くとかならず、/わたしは子供みたいに格子を揺さぶる/またしくじると分かっているんだけど!
エスケイプって聞くと、心臓はバクバクするし、突然世界が開けて、飛んでいきたくなる。世界のどこかで刑務所がぶち壊されたニュースを聞くと、私を閉じ込める小部屋の鉄柵を、駄々っ子みたいに揺さぶってみるのさ。無駄とはわかってもね。