長いこと行きつけのパン屋さんがある。石窯で焼いたパンの種類が豊富で、一日中お客さんが多い。駐車場もたっぷりあって、店もこぎれいで明るい。店員さんたちもテキパキとして気持ちいい。なにより、パンが美味しい。
紙コップのコーヒーが無料でいただけるのもうれしい。普通のパン屋なら、ここも有料にして売り上げを伸ばそうとするだろう。顧客本位の心意気がいいね、と何度家族に話したことか。貧乏性の僕は、この店でだけ、コーヒーにサービスのクリームを一匙入れる。
今日も、朝早く、妻を博多の彫金教室に送るために車で家を出て、朝食のパンを買うために、この店に寄る。目の前で焼き立てのパンのトレーをもってきたのでのぞくと、オニオンベーコントーストだという。美味しそうなので買って、いつものように紙コップのコーヒーを手に車に戻る。
一口食べると、うまい。なんだこのうまさは。
そうか、オニオンて、玉ねぎのことだったな。シャキシャキした玉ねぎと、とろりとしたチーズとベーコンのうま味が重なって、ホカホカのトーストの上で絶妙な味覚のハーモニーを奏でている。
それで、僕は、大好きなゴーゴリの荒唐無稽な短編『鼻』の冒頭を思い出す。
理髪師の男は、朝食のパンの中に、お客の役人の「鼻」だけが潜り込んでいるのを見つけて仰天するのだが、その朝食のパンには玉ねぎがそえてあるのだ。本当は、パンと玉ねぎのほかにも、コーヒーが欲しいところなのだが、奥さんがそんな贅沢はゆるさない。コーヒーを飲むなら、パンと玉ねぎはあきらめることになる。
僕の方は、パンと玉ねぎのほかにも、無料の美味しいコーヒーまでついている。この至福の朝食にほくそえんだ。