大井川通信

大井川あたりの事ども

手にふるる野花はそれを摘み

田んぼの片隅に、彼岸花が姿があらわす季節がやってきた。田園風景を身近に暮らしていると、3月の菜の花、5月の麦秋、10月のコスモスなど、あたりを塗り替えてしまうような大きな景色を楽しむことができる。彼岸花は本数は少なくとも、あちこちにできた深い傷口のような深紅が印象的だ。

もちろん野原には、名前もわからない質素な花が、ところどころ小さく咲いている。思わずその内の一本に手を伸ばしたとき、この詩句が頭に浮かんだ。

「手にふるる野花はそれをつみ/花とみづからをささえつつ歩みを運べ」

若いころに暗唱した詩句は、今でもするすると口先にでてくる。伊東静雄(1906-1953)で間違いないと思ったので、帰ってから詩集で探すと、「そんなに凝視(みつ)めるな」の中の詩句だった。

伊東静雄の詩は不思議だ。言葉が特別に華麗だったり、鋭かったりするわけではない。ぎくしゃくして意味がとれにくく、凡庸なことを詠んだだけに見えることも多い。にもかかわらず、ゆるがせにできない言葉の結晶として、いつまでも耳に残る。心の深みに残る。小さな白い花のついた茎を手に持って、帰り道に考えた。

花と自らを支えるものは誰なのか?

歩みを運べと命じるのは何者なのか?