大井川通信

大井川あたりの事ども

萩原朔太郎「虎」1934

 

虎なり/曠茫(コウボウ)として巨象の如く/百貨店上屋階の檻に眠れど/汝はもと機械に非ず/牙歯(キバ)もて肉を食ひ裂くとも/いかんぞ人間の物理を知らむ。/見よ 穹窿(キュウリュウ)に煤煙ながれ/工場区街の屋根屋根より/悲しき汽笛は響き渡る。/虎なり/虎なり

午後なり/広告風船(ばるうむ)は高く揚りて/薄暮に迫る都会の空/高層建築の上に遠く座りて/汝は旗の如くに飢えたるかな。/杳(ヨウ)として眺望すれば/街路を這ひ行く蛆虫(ウジムシ)ども/生きたる食餌(ショクジ)を暗鬱にせり。

虎なり/昇降機械(えれべえたあ)の往復する/東京市中繁華の屋根に/琥珀(コハク)の斑(まだら)なる毛皮をきて/曠野(コウヤ)の如くに寂しむもの。/虎なり!/ああすべて汝の残像/虚空(コクウ)のむなしき全景たり。

  -銀座松坂屋の屋上にて-

 

詩集『氷島』の中の好きな一篇で、学生の頃から暗唱していた。平仮名での振り仮名は、初出での作者自身によるもの。旺文社文庫版詩集で編者那珂太郎が、「素材となったのはデパアトの屋上の、檻に飼われた虎であるが、作者の形而上的飢餓感を吸収し尽くして、この虎はほとんど象徴的ヴィジョンにまで高められている」と注を付けているのが、詩人らしい解釈として印象に残っている。

何より音読が気持ちがいい詩。特に第三連の、畳みかけるようなリズムを持った正確無比の言葉の連なりには、カタルシスさえ感じる。

今は職場の昼休みに、無人の丘陵を散歩しながら、光太郎の『秋の祈』や達治の『石のうへ』に続けて大声で暗唱するのが楽しい。