大井川通信

大井川あたりの事ども

九大病院の長塚節

九州大学医学部病院というと、ドグラマグラの舞台になったり、生体解剖事件が起きたりしたなど、おどろおどろしいイメージがあるけれども、最近、知人から、歌人で小説家の長塚節(1879-1915)の終焉の地であることを教えられた。

長塚節の代表歌集が『鍼(はり)の如く』であることは僕の知識にもあったが、この歌集が雑誌に発表されたのが1914年と1915年であり、当時、長塚節が福岡の地に逗留していたことは知らなかった。

今もいくらか当時の街並みの面影が残っているが、九大病院の門前の旅館に宿泊して通院したり、入院したりという生活を送っていたようだ。長塚節の担当医の久保猪之吉博士は、耳鼻咽喉科の権威であり、同時に歌人でもあった。現在の病院構内にも久保記念館など功績をたたえる建物や胸像が残っている。『鍼の如く』には、九大での療養生活の中で詠まれた歌も多い。

小夜ふけて密かに蚊帳にさす月をねむれる人は皆知らざらむ

ただ、長塚節の代表歌(『鍼の如く』所収)として、教科書にも載っている次の二首は、残念ながら、福岡での作ではないそうだ。

白埴(しらはに)の瓶(かめ)こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり

垂乳根の母が釣りたる青蚊帳をすがしといねるたるみたれども

後者は素人にもその良さがわかりやすいが、前者は、ただ当たり前の事をさらっとうたっているだけのように思える。しかし、学校で習って以来、忘れられずに耳に残り口について出るのは、名歌たるゆえんなのだろう。

もう少し涼しくなったら、職場の昼休みにゆっくり病院構内を散策してみたい。