大井川通信

大井川あたりの事ども

耶馬渓の橋の上で101歳の齋藤先生の電話をとる

休日、妻とドライブに出かける。その前の日、珍しく耶馬渓に行きたいと聞いていたからだ。次男は教習所があるので、二人だけで行くことにした。妻はさほど乗り気ではないみたいだが、こんな時は体験上(妻の精神衛生上)出かけた方がいいのだ。

耶馬渓につくと、まだ紅葉には早かったが、そそり立つ奇岩の壁はそれだけで迫力がある。巨石好きの僕にはこれだけで満足だった。川の上にかかる橋を歩いていたら、携帯がなる。出ると、画家の齋藤秀三郎さんだった。

安部さん遺稿集のことにはもう区切りをつけたつもりでいたが、そういうわけにもいかないようだ。

齋藤先生は、有名な「九州派」のメンバーで、年齢は違っても安部さんとはずいぶん気が合うようだった。その関係で、僕もおつきあいがあり、先生の個展は何回か見せていただいた。先生のキャベツをモチーフにした作品にちなんだ詩を作ったり、お話する機会も多かった。「齋藤先生」という呼び方も、おそらく安部さんにならったものだろう。

僕が近所を歩くのが好きだと話したときに、あなたは自分で歩いた経路を地図に記録しているでしょう、とずばり当てられたことがある。軍隊時代、そういうことが趣味の戦友がいたそうだ。

安部さんの遺構集もぜひ齋藤先生の元に届けたかったので、昔のハガキを頼りにアトリエ宛に送付してみた。ただし90歳をすぎて創作活動が盛んだった齋藤先生と最後にお会いしてからもう7,8年は経つ。以前のご自宅宛で届くかは、正直半信半疑だった。

先生からは、文集のお礼の電話だった。安部さんのことをあなたと話したかったとおっしゃっていただいた。先生は今も一人でご自宅兼アトリエでお暮らしのようだ。内臓を悪くして塩分が取れないので、自炊に苦労されているとのこと。視力は悪くされているというが、電話での話ぶりは以前と変わらない。11月の末以降に連絡して、ご自宅をお訪ねする約束をして電話を切った。

その後、中津市内で福沢諭吉旧宅を見て、中津唐揚げを食べ、帰路につく。

 

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