大井川通信

大井川あたりの事ども

ゴッホを見に行く

コロナ禍の中、ゴッホ展の会期終了が迫っているので、空いているであろう平日に休みをとり、妻を誘って車で出かける。前日に妻が長男に電話をしていて、在宅勤務の息子と昼ごはんを食べることになった。

長男をワンルームマンションの前のコンビニでひろい、妻がよく長男を連れて来たというキャナルシティに車をとめて、そこで店をさがすことに。食事をとり、カフェでコーヒーを飲む。さっそくノートパソコンを広げる長男。売れた!というので、さすがビジネスマン、商談成立かと思いきや、メルカリからの連絡だった。

ちょっとした贅沢な時間がすごせるのも、長男が転職して帰ってきたおかげだし、子どもたちが自立して多少生活に余裕が出たおかげだ。いつもの貧乏性が発動してありがたいことだと思う。

ゴッホはよかった。あまり混んでなくて、気に入った絵の前で、じっくり向き合うことができた。ただ、妻と来ているということもあって、どこか自分の生活の延長で見ているという感覚が抜けなかった。律義にならんで鑑賞するたくさんの人々。彼ら彼女らも、どんな思いでこの場所に来て、絵をながめ、またどんな生活に帰っていくのだろうか。

ゴッホもまた、ぼくらとは全く関係なく、風景を見つめ、それを小さな平面の上の作業へと置き換えていっただけだろう。今回はそのことだけを実感して、美術館を後にした。図録も書籍も絵葉書も買わなかった。

 

 

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