「八王子は決して武蔵野には入れられない」と国木田独歩は『武蔵野』に書いている。
子どもの頃の僕にも、八王子はどこか遠い場所だった。学校の遠足でたまに高尾山にでかけるくらいで、デパートでの買い物なら隣町の立川で十分だから、八王子まで足を伸ばすことはなかった。友達の山本君と八王子の機関区に蒸気機関車を見学に行った記憶があるくらいだ。
八王子が身近になったのは、20代の後半、そこを拠点にする進学塾の専任講師で働くようになってからだ。駅前だけでなく、古い公団団地の長房や新しい住宅街のめじろ台などの教室を巡回したから、この大きな市のいろいろな面を知るようになった。
そのあと東京を離れて、八王子とも疎遠となった。ふたたび縁ができたのは、父親が交通事故にあい、めじろ台の病院に入院したときだ。律義な母親は毎日通っていたそうで、僕も20年ぶりに、かつて勤めた塾の近くの病院に何度もお見舞いすることになった。父が最期を迎えたのもその病院だった。
それからさらに10年経って、長男が新卒で入社した会社のパンフレットを見ていて、あることに気づく。長男の会社の西東京支社の住所が、かつて僕が勤めた塾の本部(そこに僕は机をもっていた)の近所なのだ。調べると、建物を一つ挟んだ雑居ビルに入っている。雑居ビルの一室を賃貸するような小さな会社同士で、これは奇跡的なニアミスといっていいだろう。かなり地味な奇跡だが。
長男も3年でその会社を辞めてしまい、僕と八王子との薄い縁は途切れてしまった。