大井川通信

大井川あたりの事ども

アンパンマンの話

用事があって市立図書館の職員の人を話していたら、どうやら若い頃の僕のことを覚えていてくれたらしい。25年くらい前のことだ。

そのころ、仕事の関係で、市町村の職員と関わる機会も多かった。ただその人は、直接の担当ではなくて、何かの行事ごとの時に交流会に参加して、僕と酒席がいっしょになったことがあったらしい。そのくらいの関係だから、残念ながら僕にははっきりした記憶はない。そのとき、僕はアンパンマンの話をしていたそうだ。

なかずとばずの人生は恥ずかしく情けないことばかりだったし、まして仕事がらみでは誇れることは何もない。ただ、ネタ職人としては、自分の一回のネタが、四半世紀の時の経過に耐えて誰かの記憶にとどまっているという奇跡には感激してしまう。ここまで人生を生き延びて良かったとさえ思う。

ところで、アンパンマンの何について話していたのだろうか。

当時は、長男が三歳くらいの時だったから、子どもといっしょにアンパンマンを見るようになったタイミングだったのは間違いない。アンパンマンには、親の方がはまってしまい、長男が成長してアンパンマンを卒業したあとも、夫婦でビデオを借りて見たことがあるほどだった。

アンパンマンの世界は、善意と贈与の世界である。登場人物たちは、それぞれの料理を無償でふるまうことを目的に旅を続けている。たとえば「てんどんまん」や「かまめしどん」なら、道端の屋台で天丼や釜飯をつくって集まった人々にただでくばる。この世界の唯一の悪を担うのは、ばいきんまんなのだが、その悪の内容というのは、欲張りのあまり食べ物を独り占めしようとする、ということに過ぎない。ばいきんまんの野望はそのつどアンパンマンによって阻止されて、アンパンチでお灸をすえられる。

多分こんなことに感心していたと思うから、酒席でもこの話をしたのだと思う。これが面白いか、といわれれば自信はないけれど、アンパンマンの世界のありようはやはり十分に深いという気がする。

ばいきんまんは、自分が食べる以上のものを手に入れたいという欲望をもつ。この欲望は際限がない。ばいきんまんの強欲は、やがて富の蓄積と格差をもたらし、この世界を貨幣と資本の従属化におくだろう。消費への欲望こそがこの世界の絶対の正義となってしまう。そうならないために、毎回毎回、アンパンマンばいきんまんを空のかなたに突き飛ばす必要があるのだ。