社会人になってすぐに買った箱入りのゴッホの画集を、実家の書棚にずっと置きっぱなしにしていた。高いものではないが、何となく取り寄せて手元に置く気にならなかった。今回実家を処分することになって、そのまま廃棄するつもりだったのだが、急に捨てるに忍びない気がして、自宅に持ち帰ってきた。久しぶりに開くと、やはり絵がいいのだ。
ちょうど上野でゴッホ展をやっていて、のぞいてみた。平日の昼間だったが、フェルメール展ほどではなくても、人は多い。晩年の作品を集めた最後の二部屋にしばらくいて、人垣のすきまをねらってさっと絵に近づき、気に入ったものをじっくり見る。
それで、僕なりにゴッホの絵の見方がわかったような気がした。絵の中に顔をうずめるように、うんと近くでみる。これである。
僕は絵の素人だから、絵の細部を見ても、タッチや画材など技術的なことは判断できない。だから、たいていの絵は、絵から距離を置いたほうが、純粋に画家の創り出すイメージ自体を受け取り味わうことができる。画面の細部は、イメージという手品の種や仕掛けみたいなものなのかもしれない。
ところが、ゴッホの絵はそんな二分法でできていない。絵具のうねりやかたまりがそのままイメージの生成の現場となっているのだ。だから、画面に顔をうずめることで、絵が生み出す世界の核心に達することができる。
「麦畑とポピー」という絵で、僕はこのことを発見して興奮した。今画集でこの絵を見返しても、残念ながら、その興奮は遠くなるばかりだけれども。