大井川通信

大井川あたりの事ども

2023年新春に2023本目の記事

今回が、2023本目の記事。ちょうど西暦の年数と同じ数になった。感慨深い。

1000本目の記事を書いた時も、ようやくたどり着いたという達成感があったが、それ以来だ。記事の一本を一年と見立てれば、紀元以来の人類の歴史のボリュームを疑似体験できるような分量だと勝手に楽しんでいる。

日記や日録と考えれば書き続けれることは難しくないのだが、日々の記録という側面を大切にしながらも、自分なりの「発見」や「納得」を刻んだ記事にすることを心掛けている。自分以外の読み手に対して、多少とも刺さることを目指す「ネタ」を書いているつもりなのだ。大半は、すべってしまうとはいえ。

言葉のガラクタの山を積み上げる中に、多少とも輝きのあるネタの原石を探し出すこと。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、が凡庸な自分のただ一つの方法論だ。

毎日書くためには、なけなしの手持ちのカードを探り続けないといけない。忘れてしまいがちなジャンルを追いかけて、息長く考え続けることができるのも大きなメリットだ。その中で、新しい小テーマを見つけたりすることもある。

「詩歌」や「建築」や「演劇」などのもともと興味あるジャンルをほったらかしにせずにすんでいるのもこのブログのおかげだし、例えば「目羅博士」の対決ネタなども、楽しみつつ書いている。事件(現場)へのこだわりなど、書き続けることで自己省察を深めることができたケースもある。

さて、次の目標は3000本だろうか。

 

 

 

『小林一茶』 大谷弘至 2017

昨年11月東京に行ったとき、たまたま八王子に寄った。八王子は20代の数年間、塾講師として働いた街である。八王子の駅前から放射状に伸びる道を以前塾の有ったビルのあたりまで歩いたけれども、懐かしさや親しみをあまり感じなかった。人間の記憶にも体験に応じて賞味期限みたいなものがあるのだろう。もうこの街に来ることもないかなと思って、最後に駅前でよく利用したくまざわ書店に入った。

ここはペンシルビルみたいにワンフロア―の面積が小さく、階数が多くて上り下りが面倒な本屋だからとても印象に残っている。一冊記念にと角川ソフィア文庫の古典の入門シリーズで『小林一茶』を買った。少し前に近世俳句のアンソロジーを読んで一茶が面白いと思ったからだ。

早めに着いた羽田空港のロビーで崎陽軒のシュウマイを食べながら面白く読んだりしたのだが、帰宅して数日あとに本が見当たらなくなった。買い直そうかと思っているうちにこの本のことを忘れていたのだが、年明けの掃除でソファーの後ろに落ちているのを発見した。そうして無事読了できた。

解説の長谷川櫂によれば、平易な入門書ながら、一茶を近代大衆俳句の創始者としてとらえ直す革新的な論なのだという。芭蕉や蕪村の解説書を読んだときとは違って、作品の魅力以上に、一茶の庶民としての生き方の印象が強い。圧倒的な作品が作者の人生の上に屹立する、という感じではないのだ。

今から200年前の時代に生きた小林一茶(1763-1827)の足跡を振り返りつつ、その作品をゆっくり味わうという楽しみ方をしてみたいという気持ちになった。

 

カンタロウ vs. 十日恵比須(とおかえびす)

カラスたちの根城である東公園が、新年の名物行事である十日恵比寿のお祭りの屋台一色となった。様変わりした公園を、カラスたちはどんな風に思っているのだろうと、ついついカラス目線で考えてしまう。

残飯や生ごみにありつく機会は増えるだろうから、年に一度のお祭りを楽しみにしているかもしれない。僕もうかれて、公園から車道にまで広がった夜店を見て回るが、久しぶりの十日恵比須で、「東京ケーキ」の夜店は見当たらなかった。

6、7年前にテキヤへの関心からお祭りの夜店を調べたことがあって、その時は、十日恵比寿には「東京ケーキ」の複数の出店(下記の北海道の店と福岡拠点の店)があったと思う。はるかに規模の小さな宗像大社の初詣にも、北海道を拠点にした「東京ケーキ」のお店は出店していた。同じような小さなカステラ菓子では、今ではアニメのキャラクターをかたどった商品のお店が目立つから、それが時代の流れなのだろう。

こんな雑然とした公園では、カンタロウの識別など無理だろうと思いつつ、池の周囲の林に行ってみると、近い枝に止まっているカラスがいる。声をかけながら枝の下までじわじわ近づいていっても逃げたりしない。条件1クリアーだ。

やがて、飛び立つが、遠くに飛び去らずに、舞い戻るように近くの池のふちに着地した。条件2クリアー。これでほぼ確定だろう。

池の反対側のふちにしゃがんで見ていると、カラスはこちら側に向かってじゃぶじゃぶと水の中を進んできて、二メートル先くらいで、バタバタ羽ばたきながら水浴びを始める。目がクリクリとして可愛い。ふだんカラスが見せない奇妙な自己アピールだ。条件3クリアー。確定。カンタロウにまちがいない。

餌付けはしないルールだが、今日はお祭りだからいいだろう。東京ケーキはないけれども、すぐ近くに「大阪焼き」の屋台がある。買ってみたら、どら焼きサイズのお好み焼きだった。木の根元に置いたが、高い枝に飛び移って濡れた羽根を乾かすカンタロウは気づかない。周囲のカラスが騒ぎ出し、いちはやく寄ってきた見知らぬカラスがかっさらってしまった。

『人びとの自然再生』 宮内泰介 2017

タイトルの頭には、やや小さな活字で「歩く、見る、聞く」の文言が入っている。

岩波新書の一冊で、帯やカバーには本書のポイントが広告されているし、このタイトルからしてよい本であるのはわかっていた。明らかに僕の問題意識にかなう内容だ。それで、出版当時には同じ本を二冊買ってしまうミスを犯した。そんなことはめったにない。

書棚の奥に埋もれていたわけではなく、読もう読もうと思って職場に持参したりするなど常に目につく場所に置いていたはずだ。それでも今回実際に手に取って読み通すのに、出版から6年近くかかってしまった。読めば合間合間で数日で読める内容にもかかわらず。

こんなことをぐちぐちと書くのは、この本があまりにも素晴らしかったからだ。いい本に出合って、これは大井川歩きの教科書や参考書になると思うことは時々あるが、それはあくまで特定の分野の専門知識や考察の深さに感心した上でのことだ。

本書には、大井川歩きの構想全体をカバーするような理論的枠組みと哲学的な考察が、じつに簡潔に具体的に誰にもわかりやすく描かれている。あまり見事な著作なので、落ち込んでしまったほどだ。大井川歩きにオリジナリティなどないと気づかされて。

大井川歩きの持ち味は、身近な地域の自然と社会と歴史とを一体のものとしてかかわるために、歩きながら観察し、出会った人たちの話を聞くことにある。本書は、この方法論を詳細かつ的確に描き出すだけでなく、全国の事例をとりあげて、人と自然との関係を再構築するための普遍的な方法であることを述べている。

けちなオリジナリティにこだわらなければ、これはとても勇気づけられる提言だ。さらに、自分の取り組みに何が足りないかを照らし出してくれる。オリジナリティなんて言葉が出てくるあたり、僕の方法は個人主義的で、傍観者的で、閉鎖的すぎるのだ。

こんな宝の持ち腐れをしていたなんて、いかにものろまな僕らしい。しかし5年の時間を無駄にするような余裕は、もう僕にはないだろう。最後に、本書のブリリアントな結論部を引用する。

 

そこに住む人たちが、自分たちで聞き、歩き、調べ、自分たちで決める。地域固有な歴史や多様な価値観に配慮しながら、試行錯誤を繰り返す。地域の人たちと、感受性をもった外部者とが協働し、「聞く」という営みを中心に据えながら、人と自然の関係を作り直していく。そうしたローカルで確実ないとなみによって、大きな物語におしつぶされない、自分たちの物語、人と自然の物語を組み直すことができる。(196頁)

 

 

 

 

 

里山の三社参り

元日の夜には、近辺の村社(村の鎮守)の三社参りをしたから、新年最初の連休で、里山の神様への初詣をすることにした。

参道の入り口で、農作業するひろちゃんの娘さんに新年のあいさつ。ヒラトモ様への林道は枯れた竹にふさがれて通行できない部分がある。尾根に迂回して、なんとか山のふもとに抜けたが、いつまで歩けることやら。山の急斜面は雑木が生えているためか雑草も生えず、意外と歩きやすい。

石のホコラの落ち葉を払い、お供えの木の根を並び直し、新しいお酒を献上する。今年は故事にならい、新しい木刀を奉納することを思いつく。

翌日は、マスマルから入って、ミロク様を目指す。初めて見つけた時には植林の中にポツンとホコラがあって違和感があったが、今ではシダの雑草に埋もれかけている。もう植林の草刈りも行われていないのだろう。周囲の雑草を踏み倒してお参りするが、このままでは近づくことも難しくなりそうだ。

里に下りてから、薬師堂の前で、散歩中の近所の御婦人と世間話。今度は大井林道に回って、クロスミ様をめざす。途中、子犬を連れて、モチヤマ側から上ってきた男の人に出会ってあいさつする。

クロスミ様にも、お酒の小瓶を献納。クロスミ様への参道の山道は、数年前にきれいになって驚いたが、ますます整備が行き届いて歩きやすくなっている。雑草どころか落葉さえない。モチヤマに降りたあとに、村人に思わず感謝を伝えてしまう。

モチヤマを千年守る阿弥陀様にも年始の挨拶。思わず、南無阿弥陀仏を唱える。阿弥陀仏は実在するのでなくシンボルだという羽田先生の言葉が思い出される。人が「祈る」ためには、フィクションが必要なのだ。

大井ダムの脇の道で、逆のコースをたどってきた先ほどの子犬と飼い主に出会う。ちょっとした縁がうれしい。大井ダムを囲む里山にはソーラーパネルが輝き、ローラーボードの練習場が出来ている。これもまた歴史だと、歯を食いしばって歩く。

 

 

 

目羅博士 vs.『幽霊たち』

『幽霊たち』は、ポール・オースター(1947-)の1986年の作品。

昨年末から、自分の読書を、評論、詩歌、絵本、日本文学、外国文学、ノンフィクションの6分野で意識的に回していこうと思いついた。もともとはほとんど評論専門だったが、この5年くらいの間に、読書会等の力を借りて、少しずつ自分が読む本のジャンルを増やしてきた。

ただこうなると、どうしてももともと苦手の外国文学が手薄になってしまう。何か読もうと思って書棚にある薄い文庫を手に取ってみた。いつこの本を買ったのかは覚えていない。

面白かった。文章も小気味いいし、ストーリーにも引き込まれた。主人公の思弁のくどさや物語の観念性が気になるものの、このあたりがこの作品の持ち味なのだろう。

読みすすめるとすぐに江戸川乱歩の『目羅博士』を思い出した。現代文学の人気作品にも張り合うことができるとは、さすが神出鬼没な目羅博士だ。

特異な犯罪者目羅博士と比較するためには、『幽霊たち』をブラックの犯罪として解釈することが必要だろう。ブラックはホワイトに変装して、ブラウンに自分自身を監視する仕事を依頼する。道をはさんで同じようなビルの一室を用意するあたり、道具立ては目羅博士と同様だ。

ブラウンはブラックを観察し続けるなかで、アイデンティティが揺らいで、自分がブラックと同一化してしまうような感覚を覚える。相手側に鏡のような状況を見せつけて、模倣欲望を喚起させるというのは同じでも、わずか数晩で犯罪を完成させようとする目羅博士に比べて、数年にわたるブラックの犯罪はずっと慎重で、リアリティがある。

ただその分、ブラックの犯罪はまだるっこしいし、ブラック自身見られることの快感に目覚めてしまうなど、犯罪者の動機が見えにくくなっている。しかし、クライマックスのシーンの意図は明確だ。

接触を禁ずることで、ブラックへの同一化の欲望をぎりぎりまで亢進させられたブラウンに対して銃を向ければ、ブラウンは同じような暴力をブラックに向けざるをえないだろう。ブラウンは、ブラックを亡き者にすることでようやく自分を取り戻し、この迷宮から抜け出すことになる。

ブラックの犯罪の眼目は、目羅博士のような単純な殺人とは違って、他者を殺人者に仕立て上げ、自分を抹消することにあったのだ。

 

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『三億円事件』 一橋文哉 1999

2002年の新潮文庫版で読む。ながらく積読だった。

僕にとって、三億円事件は特別な事件だ。小学校1年生(7歳の誕生日の直前)に隣町で発生した事件で、全国的な大ニュースになったし、その後の捜査の進展状況も話題になった。偽白バイが現金輸送車をだまして乗っ取る、という鮮やかな手法と未解決事件の神秘性もあって、ドキュメンタリーやドラマなどで何度も取り上げられてきた。

事件現場や犯人の逃走経路も、自宅から2キロメートルくらいの場所が舞台で、事件前から、府中刑務所の高い塀や武蔵国分寺跡の野原はなじみのある風景だったのだ。

この本は、事件の経緯についての詳細な記述があるから、そのおさらいとして面白かった。国分寺や府中の街並みに久しぶりに思いをはせることができた。ただ、独自取材に基づく推理の部分はどうなのか。

米軍と基地の存在を重要視しているのは、かつての街の様子をいくらか知るものにとってはリアリティがある。たしかに当時の報道では、タブーだったのかその辺は盲点になっていたような気がする。

犯行グループが三人で、主犯は元警官だというのは納得がいく。さらに主犯は家族を通じて、東芝とも銀行とも関係をもっている。個人が大きな組織に対するとき、その内部事情に通じているということは絶対条件だ。全くの部外者が巨大組織をだまして操るということは考えられない。しかし、主犯が父親(東芝の被害者)と妹(銀行の被害者)の恨みを晴らすという動機は少しできすぎている。

盗んだ三億円の札束という決定的な物証を、犯行グループの二人がそれぞれうかつにも知人に渡してしまい、30年後に知人を通じて別ルートで筆者の目に触れるところとなる、という奇跡を信じろという方が無理だろう。犯行に関連した盗難車の遺留品が、犯行グループの一人の恋人の失くしたイヤリングだったという下りには、思わず小説か、とつっこみたくなった。

警察でもないのに、アメリカ在住の主犯の男に対して、6時間にわたって取調べめいたことができたというのもリアリティを欠いている。筆者たちが驚嘆すべき取材力と幸運を持っていると信じることができなければ、ほとんどがフィクションだと思うしかない。

何より、事件の全貌とその後を、犯人グループ三人の友情物語として描いていることが、全体の説得力を落としているのだ。経歴も年齢も違う3人が、まだ戦後の傷跡と高度成長の混沌が支配している東京郊外で、一時の友情と協働の関係を結んだということはあるかもしれない。しかし、その思いを30年にわたって持ち続けたというストーリーには無理がある。その無理を押し通すには、筆者の文体は素朴で稚拙だ。

筆者は個人ではなく、匿名の取材グループであるようだ。やはり最終的に責任をとる個人の書き手が存在しないところでは、ドキュメントに信ぴょう性を与えることは難しいのかもしれない。

 

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こんな夢をみた(テープ起こし)

今の仕事の関連の夢をはじめてみた。

今日中にテープ起こしをしないといけない案件が二つあることに気づく。早朝飛び起きてさっそく作業を始める。ただし、現実の世界同様、パソコン入力も不器用で思うようにすすまない。ややぞんざいな喋りの文言をどうなおして文章化するかも、やっかいだ。一つ目は、お茶菓子をめぐる対話という(今考えれば)へんなものだ。

一時間の対談をまとめるのはその何倍もかかるだろう。職場に電話をして在宅勤務に変更してもらうが、間に合うだろうか。

夢が進行していくにつれ、なんとなくこれは夢ではないかという気づきが生まれてくることがある。今回もそうだった。

こんな大変な状況に陥っているのは夢だからではないか? 夢がさめれば、きっと状況はもう少し楽なはずだ。実際はテープ起こしも一本だけでいいのではないか。しかし、その時も、課題がまるでないなんてことは少しも思わなかった。

目が覚めて意識がはっきりしてくると、実はテープ起こしの課題なんて幻想でまったく存在しないことに気づくのだが、不安を完全に消すまでには、しばらく時間がかかった。

大学受験の夢。学年末試験の夢。何かに追われる夢。夢の中で手に負えない課題に追われて脂汗を流すというのは、よくある夢のパターンだ。状況がどんなに理不尽であっても、その中にとらわれた渦中において、課題の存在自体を疑うことはできない。今回の夢であらためてそれを了解できた。

 

 

 

痛風とむきあう

朝起きると、左足の足裏の親指の付け根あたりが痛い。年末年始のお休みで、あまり歩いていないから、歩きすぎで痛めたということはない。しかも今まで痛くなったことのない部位だ。ネットで調べると、典型的な痛風の症状であることがわかった。

尿酸値は、だいぶ以前からボーダーの7.0を少し超過した状態が続いている。実は何年も前から、足先(指先に近かったと思う)が痛むことがたまにあったのだが、おそらく今回のように典型的な部位でなかったために、うすうす痛風かもしれないと思いながら、痛風をはっきり自認したことはなかった。実際、関節痛で足を引きずることもあったから、歩きすぎ(整形外科医からの診断)という言い訳もできた。

ところが、今回はそんな言い訳がきかない状況だ。痛風の知識を仕入れると、痛みのピークは二日程度で去り一週間くらいで症状はひいてしまうという。そんなことも知らなかった。いったんかかると相当期間痛みが続き直らないものだと思っていた。だとしたら、今までの短期間の痛みも痛風である可能性が高いだろう。

症状を繰り返すうちに、しだいに重くなって関節の変形までにいたるが、やり方しだいでは治癒も可能な病気のようだ。酒はほとんど飲まないが、モツやレバー、豚肉、牛肉は好きだし、赤身魚もエビも大好きだ。尿酸値が高いくせに、プリン体を意識的に避けたことはないのだ。ビールを飲まないから年末に夕食でモツを一パックたいらげてしまったことがある。あれが引き金か。

朝は小走りで駅に急ぐくらいはできたが、帰宅時には足を引きずるくらいに悪くなった。しかし動かさなければ痛みを感じることもない。職場では痛風に効くというコーヒーや牛乳を飲む。

しかし翌朝には、痛みも緩和されて、午後にはあまり気にならないくらいになった。これをきっかけに自分が痛風もちであることを肝に銘じて養生したい。

 

 

こんな夢をみた(街頭演説)

実家から南東方向の府中市分倍河原駅近く)の設定だった。相変わらず僕の精神は、実家のある土地に根を下ろしたままなのだろう。

駅前の狭い道にぎっしり人が並んでいる。そろいのハッピを着て交通整理をしている関係者がいる。どうやら政治団体の演説がはじまるらしい。〇〇の会、というよく聞く団体で、人気の代表者がやってくるのだろうか。

ロープが張られた前で、腰を落として聴衆の誘導をしている女性の姿をみると、中学の同級生のTさんだった。おとなしかった彼女が政治活動をしているのが不思議だったが、思い切って声をかけてみた。中学の時の△△だけどわかりますかと尋ねると、すでに気づいている様子。意外とお互いに変わっていないものだと思う。

そんな話をしながら、僕は知人とその場所を離れた。その知人も昔からの知り合いで、Tさんよりも仲良かった人だったのだが、だれなのか思い出すことができない・・・

というだけの中途半端な夢だが、今年の初夢なので記録しておきます。