大井川通信

大井川あたりの事ども

書評

『雨・赤毛』 モーム短編集 新潮文庫

◎『雨』 キリスト教の罪悪や恥辱の観念の本質が、宣教師デイヴィッドソン夫妻の言動を通じてえぐられる思想劇。南洋の現地人の文化や奔放な若い女性トムソンに対して、かれらは信仰において容赦ない。南洋の洪水のような雨の「原始的自然力のもつ敵意」を前…

『うしろめたさの人類学』 松村圭一郎 2017

この本を読者への「越境的な贈り物」にしようとする著者の真面目さは疑えないが、一読後の印象は微妙で、少なくとも『弱いつながり』のような希望を感じることはできなかった。その理由を考えてみる。 当初の連載時のテーマが「構築人類学入門」だったためだ…

『弱いつながり』 東浩紀 2014

新年からすがすがしい本をよんだ。昨年は新刊の『観光客の哲学』に出会って、だいぶ考えさせられて、とても役に立ったけれども、東浩紀は何年も前からこんなすっきりした文体を手に入れていたんだと感心する。なんのてらいも臭みもなく、新鮮で大切な知見を…

『奇妙で美しい石の世界』 山田英春 2017

著者の名前にひかれて、自分にはずいぶん場違いな本を買ってしまったと思っていた。主に瑪瑙(メノウ)などの石の断面の「奇妙で美しい」模様を図版で解説する本だ。しかし読みながら、自分も石について興味があって、何冊も本持っていることを思い出した。…

『敗者の想像力』 加藤典洋 2017

加藤典洋は、比喩の使い手だ。思ってもみないような比喩を持ち出し、作品や現実の意外な真実を引き出す。それが何年か前に、久しぶりに彼の本を手に取ったとき、その比喩の精度がずいぶん落ちたような印象を受けた。この新著でその印象は決定的になった。全…

『死者の書』折口信夫 1943

ある読書会で『死者の書』を読む。課題レポートを事前に提出するやり方は初めてだったが、とてもよく機能していた。読書会で起こりがちなのが、発言者と発言内容がかたよってしまうことだ。そして、悪貨は良貨を駆逐するの言葉どおり、本の内容から離れた世…

『アジア辺境論 これが日本の生きる道』 内田樹 / 姜尚中 2017

内田樹の本を久しぶりに手に取った。 相変わらず、鮮やかな指摘(グローバル化で、自由という概念が「機動性」に改鋳された等)にうならされる一方、言葉の失速を感じる場面も多かった。 随分前、内田樹が中年過ぎて、学究と子育ての生活から論壇にさっそう…

アメリカ人はどうしてああなのか テリー・イーグルトン 2017

原書は2013年にアメリカで出版、原題は『大西洋の反対から-ある英国人のアメリカ観』というちゃんとしたもの。著者はイギリスの高名な批評家だが、読んだのは初めてだ。 ここにくだけた調子で書かれている内容は、日本ではおそらく西欧文化論とかポストモダ…

観光客の哲学 東浩紀 2017

とてもいい本だった。 リベラリズム、ナショナリズム、グローバリズム、そして観光客。キーワードは少ないが、論述は驚くほどていねいだ。 数少ない精選された概念で世界のリアルな見取り図を描くという、言うは易く行うは難い現代思想の課題をあっさり果た…

「イエスの方舟」論 芹沢俊介 1985

報道された情報だけを使って、自らの解釈と思弁を強引に進めていく手法は読みにくいが、かつての批評のスタイルなのだろう。ただ前半で、家族(対幻想)の解体と変容という物差しを振りかざして、「既成の価値体系」にしばられた親を貶め、イエスの方舟の新…

現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史 2017

イースト新書刊。本書の中で、月間150冊出版される新書が雑誌の代わりになったのが、論壇劣化の元凶のように言われているが、まさにそれを地で行くような内容だった。 ロスジェネ世代でもある社会学者北田暁大が、若者論の批判的研究をしている後藤和智と、…

自由の彼方で 椎名麟三 1954

語り手は、1927年に数えで17歳の若き日の自分山田清作を「死体」として回想を始める。第一部では、親元を家出して、大阪でコックをしていた当時の不良少年仲間との交渉が語られる。第二部では、1929年に神戸で私鉄の車掌となり、非合法の共産党員となって労…

無邪気な人々 椎名麟三 1952

緒方隆吉が妻弘子と住む二階屋に、突如赤ん坊が届けられる。空襲で死んだはずの弘子の前夫が、弘子との間の子であるという戸籍とともに置いて、立ち去ったのだ。 敬虔なキリスト教徒の隆吉は、事態の不可解さとともに、重婚を犯した罪におののく。 赤ん坊の…

深夜の酒宴 椎名麟三 1947 

刑務所のようなアパートで、おじ仙三からの理不尽な責め苦に耐えて絶望を生きる須巻。収監者である住民たちは、困窮の中で、徐々に死にむかっていく。戦時中、挺身隊で働く工場の工員と付き合った(僕は自分の母からそんな思い出話を聞いている)という若い…