大井川通信

大井川あたりの事ども

言葉ノート

「お財布・携帯・鍵」

僕は、とにかくそそっかしい。それでよく、出かけるときや外出先でかんじんなものを忘れる。それを見かねた友人が、もう10年以上前に作ってくれた合言葉が、「お財布・携帯・鍵」だ。なるほど、この三つさえあれば、あとはなんとかなるだろう。 しかし、この…

したたがない(仕方がない)

小学生のころの次男の口ぐせは、この言葉だった。ほかの子どもよりも、だいぶしゃべり始めるのが遅かったから、まだしっかり発音できなかったのだ。 「障害」があることで、ずいぶんつらかったり、孤独だったりしたこともあったはずなのに、次男は、一度も学…

「障害者」という言葉

近頃は、どんな人の話も、自分の身の丈でしか聞けなくなったような気がする。その人の身から出た言葉を、自分の身に置き換えて聞く、というようにだ。昔は、もう少し言葉や思想をそれ自体として受け取っていたような気がするのだが、よく思い出せない。おそ…

イタチがいたっち

夜、近所で車を走らせていると、前方の路上を低く、さっと何かが横切っていく。その妙に細長いシルエットは、道端の草原に吸い込まれるように消えていった。見送ったあとで、すぐにイタチだと気づいた。 20代で車を乗り始めたころ、地方暮らしだったから、農…

「意識しないとできないことは実はどうでもいいことなのさ」

『おばあちゃんが、ぼけた。』の中の、村瀬孝生さんの言葉。 「人の暮らしって、同じことの繰り返しが基盤となって成り立っている」と村瀬さんはいう。その毎日をどう繰り返すかが大切なのであって、無意識におこなっていることほど直接生きることに直結して…

「自分が何も分かっていないということ。さらに無力であるということ」

村瀬孝生さんは、老人ホームに勤めてそう思ったという。「だから、お年寄りたちから振り回されっぱなし。でもそれって悪いことじゃないと思う」と村瀬さんは続ける。無力であることを自覚すると素直になれる。素直な気持ちでお年寄りたちに振り回されるよう…

人間とは本来「自然、時間、土地」という自身でどうにもできない条件に制約された存在です

アメリカの政治学者パトリック・デニーンの言葉。新聞のインタビュー記事で見つけたものだが、今の自分にはとてもしっくりとくる言葉だ。 自由主義は、こうした制約をなくても困らないものとし、自分が思う通りに自由に動き回ることをよしとして、そこから膨…

つぎは15メートルの流しそうめんがやりたい

職場がある地域の敬老会に参加する。 この夏には、自治会の役員さんたちの協力で、地元の竹を使って流しそうめんの台をつくってもらった。子どもたちにはとても好評だったから、そのことのお礼をあいさつで言おうと思った。竹を接いで、8メートルの長さの台…

自分の子どもには最後までかかわらないといけない

職場の先輩のことば。 子育ては、むずかしい。自分ひとりが生きることだって、とてつもなく大変で、ふりかえれば欠落ばかりなのだから、まして他者の人生に大きく関与するふるまいが、うまくいかないのは当たり前なのかもしれない。 それなりに関わってきた…

ネタ作り

漫才師でもお笑いタレントでもないけれど、僕は、いつもネタ作りに励んでいる。ネタといっても、面白い話のネタ、といったほどのものだ。意図してやっているというより、無意識のうちに、結果的にそうしてしまっているのだ。 こんなふうに毎日ブログを書いて…

「私は淫祠(いんし)を好む」

永井荷風(1879-1959)が東京の街中を散策したエッセイである『日和下駄』(1915)の一節。淫祠(いんし)とは、いかがわしい神をまつったヤシロやホコラのこと。 「裏町を行こう。横道を歩もう。かくの如く私が好んで日和下駄をカラカラ鳴らして行く裏通り…

「夢であった、―すべてが夢であった。どこに夢でない真実があるのか」

田宮虎彦(1911-1988)の小説「足摺岬」(1949)の末尾の文章。 昭和の初め、病に侵され大学を中退し足摺岬に死に場所を求めてきた「私」は、死にきれずに、遍路を泊める宿で、女将たちの介抱を受ける。80歳を過ぎた老遍路は戊辰戦争の生き残りで、薬を無償…

「自分自身の身体を使って、身の丈に合ったものを運ぶという、ヒトの原点にあったはずのつつましさを思い出すこと」

『〈運ぶヒト〉の人類学』(川田順造 2014)の末尾の文章から。岩波新書でも活字が大きく薄い本だが、碩学の深い経験と知見が盛り込まれて、読みごたえがある。 著者川田順造(1934-)は、「文化の三角測量」という方法をとる。全く関連がないかに見える三…

村の賢人から書を購入する

大井村の賢人原田さんを訪ねる。賢人は、日焼けして真っ黒だ。勤務している幼稚園につくった芋畑の雑草抜きが大変だという。賢人は、夏は仕事が多くなるから嫌だといいながら、実によくはたらく。 賢人が借りている田んぼには、今年もジャンボタニシが大量発…

井山、いやまて!

僕の小学校の頃にも、道徳の時間というものがあって、副読本みたいな教材を使っていたと思う。その中に、語呂合わせみたいなこの言葉が出ていて、妙に耳にこびりついている。 クラスの子どもたちが、ケンカをする。それをとめた担任の井山先生が、あとでみん…

暗礁と空ぶかし

政治を語る言葉は、とても単純だ。たとえば、ある政党の政治家の語る言葉は、つねに、政権の悪だくみを暴く、というものに終始していた。僕ははじめ、それを大衆を動かすための方便なのかと思っていたが、どうやらそうではなく本気らしい。かつて埴谷雄高が…

平成最後の「なんもかんもたいへん」を聞く

平成最後の日、東京から来ている姉を門司港に案内する途中で、黄金市場に寄る。昭和の古風な市場を見てもらうためだが、実際は、自分が「なんもかんもたいへん」のおじさんの口上を聞きたかったのだ。 祝日で活気のある市場の狭い路地で、おじさんの言葉が響…

テレビ局のプロデューサーの人ですか?

近くの街で仕事で会議に出るので、その前に黄金市場に寄ることを思い立つ。なんもかんもたいへん!のおじさんに会うためだ。JRからモノレールを乗り継いで最寄り駅へ。思ったよりスムーズに市場に着く。 モノレールは、長男が4年間大学への通学で使っていた…

コスモスの開店で、黄金市場もいよいよあぶない!

市場の路地にすわりこんで商いをしているおじさんは、標記の口上を繰り返す。「コスモスから一万円もらっているので、私も黄金市場で宣伝しなきゃいけない」と冗談を交えながら。 半分開けられた店のシャッターの中は相変わらず段ボールが積み重なっており、…

おとうさん、まるで新婚のごとありますね

あっこさんのお店でカレーを食べながら、地元でお年寄りの介護の仕事をする友人たちと話をする。 デイケアの利用者で、最近古い屋敷を離れて、新しい入居施設に入ったご夫婦がいるという。本当は、自分たちの家と土地で暮らしていたいはずだ。おばあさんは、…

世界観のある人

もう慣れてしまったが、近ごろの「世界観」という言葉の使い方には、はじめびっくりして、なかなか違和感が抜けなかった。アーティストの作品や楽曲、個性的なファッションや趣味嗜好について、「世界観」という言葉が乱れ飛ぶ。あの曲の世界観が好きだ、と…

その短くはない生涯を短く語る

旧玉乃井旅館での「おはなし会」で、安部文範さんの話を聞いた。タイトルには、安部さんらしいユーモアがこめられているが、こうした微妙なユーモアの感覚は、おそらく世代限定のものなのだろう。 安部さんは、僕よりほぼ10歳年長だ。1960年代、70年代は、日…

なんもかんもたいへん、いらっしゃい

若いころ住んでいたアパートの近くに、黄金(こがね)市場という商店街がある。アーケードのかかったメインの商店街の周囲にお店が集まり、隣接する古い木造の建物の中の路地にも商店が連なっている。 この路地の方の一角。シャッターを半分だけ開けて、間口…

一月は行く、二月は逃げる、三月は去る

この時期になると聞く言葉で、自分の口からも自然に出てしまう。ただし僕がはっきり記憶していたのは、二月以降の部分で、一月は行く、はあまり耳なじみがない。「二月は逃げる」の意味は、大正生まれの父親から、子ども時代に聞かされたような気がする。 一…

『ことばと文化』 鈴木孝夫 1973

こうした良質な日本語研究の本(といっても僕が手に取るのは入門書の類だが)を読むたびに、いつも感じることがある。 まず、自分が当たり前に使っている日本語の構造や特色について、まったく目からうろこが落ちるような思いをさせられるということ。つぎに…

この枝、めっちゃ枝してる

子どもたちのグループと山道を歩いている時、中学二年生の男の子が突然、足元の枝を拾い上げて、叫んだ言葉。じゃり道では、小石を拾って、「この石、めっちゃ石してる!」とも。その言い方が学校で流行っているのかと聞くと、自分だけだという。手にした枝…

『日本語が世界を平和にするこれだけの理由』 金谷武洋 2014

最近文庫化されたので手に取る。タイトルだけ見ると、いろいろ突っ込みを入れたくなって、読むのをためらってしまいそうになるが、本の中身はたいしたものだ。 カナダの大学で25年間、日本語教育と日本語の研究を行ったきた著者が、現場で考え、実地で体験…

虚栄心の力を否定するものは虚栄心しかない

サマセット・モームの『英国諜報員アシャンデン』(1928)から。 「魂を悩ます感情のなかで、虚栄心ほど破滅的で、普遍的で、根深いものはありません。愛以上に破壊的です」とアシャンデンは語る。だから、ある一つの虚栄心の暴走を止められるのは、また別の…

ひとつのネタを何度も使ってはいけない

サマセット・モームの『英国諜報員アシャンデン』(1928)から。 主人公のアシャンデンは、こう続ける。「ジョークは長居せずに気まぐれに、いってみれば、花をめぐるミツバチのようでなくてはならない。一発決めたら、すぐに離れて次に移る。もちろん、花に…

人は揺り籠から墓場まで、束の間の人生を愚かに過ごして命を終える

サマセット・モームの『英国諜報員アシャンデン』(1928)から。 モームの小説は面白い。モームの描く人物は、どれも魅力的だ。大衆的でわかりやすく、極端だったりするのだけれども、人間というものの根底を押さえているから、命を吹き込まれているかのよう…