大井川通信

大井川あたりの事ども

いとうせいこうの沈黙

夕方、テレビを見ていると、教育テレビの子ども番組でいつものように、いとうせいこうが派手な衣装で出演している。まだやってるのか。チャンネルを変えると、そこにもいとうせいこうの大写しの顔が現れる。こっちはちょっと真剣な表情。

ローカルニュース番組で、地元を訪れた作家いとうせいこうへのインタビューを放送していたのだ。被災地支援では、被災者のことを忘れていないというメッセージを送り続けることが大切だという。なるほどまじめな活動もしている人だったな。

インタビューは続き、今の世の中について、SNSでみんながすぐに勝ち馬にのろうとするようになったとか、損得抜きで他者のために動くということがなくなったとか、そのフランクな語り口からは、なるほどとうなずける言葉が続く。

アナウンサーが、それでは、我々はどうしたらいいんでしょうね、と聞くと、いとうせいこうは、ちょっと苦しそうに顔しかめて考えこんでしまった。しばらく黙ってから、難しいけど、傾聴ということでしょうね。みんな発信ばかりするようになってしまったけれども、お互いに聞きあうという世の中になれば。

沈黙も「演出」と取れないこともない。すべて型どおりの正論じゃないか、と突っ込むこともできるだろう。愚にもつかない「発信」を続けている僕には、耳の痛い言葉でもある。でも、インタビューの態度や雰囲気も含めて、素直に共感できる言葉と話しぶりだった。裏番組で、子ども相手に一生懸命にキャラを演じているということもコミで、一気に彼に好感をもってしまった。

いとうせいこうは、同じ年に同じ大学の同じ学部を卒業している。マンモス大学だから、面識なんてないし、それだけで親近感をもったりはしない。小説家や音楽家やタレントとしてマルチに活動し、学生時代の僕のあこがれだった柄谷行人浅田彰とも交流をもつような姿に、むしろ嫉妬と反発を感じてきたような気がする。

あの同じキャンパスの風景。あの同じ時代から出発したのに、ずいぶん違う場所を生きているな、とねたみともあきらめともつかない気分で、遠くから彼の活躍をながめてきた。彼の本を買ったりすることもなかった。

いとうせいこうの小説を読んでみたい。はじめてそんな気持ちになる。それでネットで経歴を見ると、「通信空手の有段者」なんてネタの記載まであった。やれやれ。「中国拳法を通信教育で習った」というのが僕の鉄板ネタなのだが(その時の会員証を大切に持っている)、こんなことまでかぶっているのか。同世代だとつくづく思う。