大井川通信

大井川あたりの事ども

職人さんたちと

学校を卒業して、保険会社で働き出したころ。当時、事務処理でようやくコンピューターが登場したばかりの頃で、日常の図表などはふつうに手書きしていたし、計算も電卓だった。どちらも苦手な僕は、勝手の違う世界にすっかりくたびれていた。

人と紙の商売といわれる保険会社だから、事務室には大きなプリンターがあって、それが紙詰まりなど故障すると、サービスマンを呼んだ。沖電気の人だったと思う。たくさんの工具が入った箱を開いて作業する姿を、僕はデスクからながめていた。

身に着けた技術で仕事をしている姿がとてもうらやましかったのを覚えている。僕が3年で追い出されるように仕事を辞めた時には、文字通り「手に職をつけたい」という気持ちがあった。できればあこがれの建築の勉強をしたいと思った。

しかし、紆余曲折はあったものの、結局は、苦手な書類を扱い、人間関係に振り回される仕事を続けて、定年がすぐそこにみえるところまでやって来た。残念な気持ちも強いが、場違いな気持ちをかかえてなんとかここまで来られたという感慨もある。

DIY講座の4回目で、朝9時から夕方6時まで、作業場でホコラの修復作業の手伝いに没頭した。前回までで屋根の形は出来上がったいたが、その上に地垂木(じだるき)を取り付け、野地板(のじいた)をはった。午後から、若い板金の職人さんがやってきて、後日銅板を葺いてもらう相談をする。

やれやれと思ったが、最後に建具の扉の工作に難渋する。ジグソーという工具も見様みまねで初めて使うが、やはりうまくいかない。

ようやく一日が終わって、作業場の掃除を終えて外にでると、師匠の松島さんが向かいのアパートの建設現場で作業していた大工仲間の人たちと談笑している。「あんた、来週はアパートの現場で教えてもらったら」と冗談を言われる。職人さんたちの輪に入れたようで、ちょっとうれしい。