大井川通信

大井川あたりの事ども

嵐の前の静けさ

今までの経験したことのないような最強台風がくるという。土日に重なり対策が取りやすかったためか、スーパーのペットボトルや菓子パン類が売り切れている。息子二人といっしょに家の外回りを片付け、飛びそうなものをロープでしばったりした。

雨戸のない窓ガラスの内側をテープで補強したのは、今回が初めてだ。停電や断水を覚悟して、常温で保存できる食糧を買いそろえ、湯船の水をはった。台風を迎える側も、今までやったことのないような対策を行ったのだ。これは、多くの家庭や職場でもそうだったのではないか。

十分な備えを終えて、嵐の襲来する前の街で、買い物がてら車を走らせてみる。

どこか街の印象が変わっている。何が違っているか具体的には言えないのだが、ふだんの様子と明らかに違うのだ。人通りや車が少なくて、「嵐の前の静けさ」という不気味さが支配しているのは間違いないが、どうもそれだけではない。

妙にこざっぱりとして、幾何学的に単純化されてしまったように見える。なるほど。普段街並みを構成している雑多なモノたち、植木鉢やら看板やらオブジェらやらがすっかり取り払われてしまったのだ。ざらざら、ごてごてしたものがなくなり、街は構造物の輪郭とつるつるした平面だけになってしまったようなのだ。

風は夕方から吹き始め、夜半から明け方にかけてもっとも強くなり、午前中の内にはほぼ吹き止んだ。最強クラスではあっても、今までに経験した強さを超えるものではなかった気がする。幸い、街に目立った被害もなかったようだ。

予想より勢力が衰えた原因として、数日前にほぼ同じコースを通った台風が海水面をかく乱して、その表面温度を下げてしまい、今回の台風に十分なエネルギーを供給しなかったという説がでている。もっともな説明だが、そういう単純な条件を予報に反映させることはできなかったのだろうか。

 

 

『学校の戦後史』木村元 2015

以前、政治学原武史の『滝山コミューン1974』(2007)を読んだときに、近代以降の歴史について専門分野にとどまらない膨大な知識をもっている著者が、戦後教育の歴史について無知であることに驚いたことがある。この本を高評価でもって迎え入れた論壇や読書界に対しても同様な感想をもった。

原は、自分が公立小学校で受けた教育が民間教育研究団体の全生研(全国生活指導研究協議会)の強い影響下にあったことを突き止め、そのイデオロギーをピンポイントで批判する。しかし、戦後教育の歴史という文脈を踏まえていないため、その批判は公正なものとはいえなかったし、この本があたかも戦後教育全体の問題点をとらえたものであるかのような識者の書評も、バランスを欠いたものだった。

知識人の間では、戦後の歴史についておおまかな共通了解があるだろう。戦後復興期から高度成長期、オイルショック以後の低成長期、バブル崩壊以降の失われた20年。社会学者はそれを「理想の時代」「夢の時代」「虚構の時代」「不可能性の時代」というふうにしゃれて名付けたりする。政治、経済、文化のそれぞれの分野で、歴史は強い屈折をはらみ、多層化されたものとして理解されている。

にもかかわらず、教育に関してだけは、あたかもそれが不変で十年一日のものであるかのようなイメージが支配的なのだ。だから自分の受けた数十年前の教育に基づいて学校を語る人が多いし、彼らはそれがまったく正当なことと思い込んでいる。知的に洗練されてはいても『滝山コミューン1974』も同様の弊害に陥っている。

『学校の戦後史』を読むと、そうした固定観念が間違いであることがよく分かる。それどころか著者は、「学校の戦後史とは、戦後の学校と社会との関係史であった」と言い切っている。だとしたら、学校は社会の方を向いて必死にアピールをしているにも関わらず、社会の側はその努力をほとんど視野に入れていない、という片思いの関係といえるかもしれない。

本書は、学校をめぐる多くのトピックを、教育史というパースペクティブの中でコンパクトに位置付けている。たとえば、『滝山コミューン1974』ですっかり悪役にされた全生研だが、ここでは高度成長期以降の「産業化社会への対応」に対するリアクションとして「民主社会の担い手づくりの実践」として評価される。さらに、全生研自体も、90年代以降の社会基盤の動揺の中で、集団作りの前提となる子どもたちの関係性の基底に目を向けるようになったことが指摘される。

薄い新書の中に十分な情報を詰め込んでいて便利だが、この問題に対する一般の蒙を啓くには、内容も文体もやや硬すぎるかもしれない。

 

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ある演出家のアンガーマネジメント

昨日は、政治学白井聡のネット上の暴言について書いた。彼は確信犯だから、形式的には謝罪したものの、自分のスタンスを変えるつもりはないだろう。

ちょうど同じ時期に、偶然まったくこれと反対の事例をネットで見つけた。演出家の多田淳之介さんには、かつて長期のワークショップでお世話になったことがあり、それ以来、時々SNSの書き込みをチェックすることがある。

今回、ひさしぶりにのぞくと、自分のハラスメントを自覚して、自主的に謹慎しているという記事があった。

確かに多田さんには、体制批判的なところがあって日本の政治や社会、劇場の在り方について、結構厳しく批判したりすることもあった。公共劇場での事業の担当者が単年度で交替することに怒って辞任するという書き込み(実際のなりゆきは不明)を何年か前に読んだ時には、問題点の指摘はわかるが、ちょっとやりすぎのような気もしていた。

詳しい事情はわからないが、今回自分の怒りがハラスメントを生み、他者を傷つけていることに気づいたため、謝罪とともに謹慎し、アンガーマネジメントのプログラムに参加しているという。

 40代半ばになって仕事上の実績も積み上げてきたなかで「反省と更生」を自ら宣言することは、かなりかっこ悪いことだろう。なかなかできることではない。

多田さんの芝居には、役者の身体に負荷をかけて舞台上での様々な反応や変化を見せるものがある。ハラスメントにいたる自分の身体のありようを冷静に観察することができるのも、身体との柔軟なつきあいの下地があるからだろう。自分のアイデンティティをいさぎよく脱ぎ捨てることができるのも、それが演劇というものに特有の振舞いだからかもしれない。

正義に固執する言論人に比べると、演劇人ははるかに柔軟でしたたかだと感じる。

  

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右翼と左翼

政治学者の白井聡が、松任谷由実に対して「早く死んだほうがいい」と自分のフェイスブックに書き込んだことで、批判にさらされている。彼女が安倍総理の友人としてその辞任に同情したために、「敵」と同罪と認定されてしまったのだろう。

確かにひどい発言だ。自分の気に入らない敵側の人間なら死んだほうがいいというのでは、ヘイトスピーチとかわらない。

ただ、僕は驚かない。白井聡の論壇での出世作は『永続敗戦論』(2013)だが、読書会でレポートしたために丹念に読んで、そしてあきれてしまった。そこでは、勝手に権力関係を妄想して、名もなき庶民を罵倒する、というもっと悪質なことを平気でやっている。本物の権力者とその友人を罵倒するなど朝飯前だろう。

しかし、『永続敗戦論』はおそらく仲間内ではそんな部分など問題にもされずに共感され、ベストセラーとなり賞まで取っている。今回はネット上の発言だから見過ごされなかったというわけだ。

こんなふうに、右と左の思考法はよく似ている。とくにその悪い部分で。では左右はどこが違うのか。僕は、以前、その明快な説明を、経済学者松尾匡の『新しい左翼入門』(2012)で教えられた。

世の中をまず横に切って、「上」と「下」に分けて認識し「下」に味方するのが左翼で、世の中を縦に切って「ウチ」と「ソト」に分けて認識し「ウチ」に味方するのが右翼だというのがその定義だ。

この定義は、僕のように左翼が正義を独占していた時代に育って、その癖がいまだに抜けない人間には特に役にたつ。左右とは、世界を認識する際の態度に由来するものであって、正邪の問題ではないのだ。

さらに、「ウチ」を大切にするというのは、人間を含むあらゆる生物の基本であって、毎日の生活において否定しようもない態度だ。僕が毎日お土産をもって帰ってくるのは、自分の家族にであって、隣家の家族ではない。

ただ、その考え方だけでは弊害があるということで、強者を批判し弱者の味方をするという態度が、特に近代以降強まったのだろう。

しかし、それらは、世の中の一つの見方に過ぎないわけで、その見方に基づいて善と悪が決定されるわけではない。それを信じすぎると、ヘイトスピーチの少女のように在日の人たちに「あなたたち死んでください」と言えるようになるし、白井聡のようにユーミンに「死んだほうがいい」と言えるようになってしまうのだろう。

 

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『サキ短編集』 中村能三訳 1958

ビアスといえば、短編の名手サキ(1870-1916)の名前を連想したので、この機会にサキの短編も読んでみることにした。文庫本は5年ばかり前に手に入れていた。

21編の収録作品の内、心に引っかかったのは三分の一弱。おそらく文化や時代背景の違いのせいでピンとこないものも多いだろう。ざっと目を通した感じでは、僕とはあまり相性のいい作家ではないのかもしれない。唯一、再読の誘惑にかられたのが、「七番目の若鳥」という短編だった。

主人公の関心事は、同じ汽車の通勤仲間の話題の中心を占めることだ。自分の生活における事実では、なかなか彼らの気をひくことができない。友人のアドバイスに従い、「創作」した話によって一座の重要人物となる。

「いちど踏みきる勇気さえあれば、堕落とはいかに安全で容易なものであるかを、悟りはじめていた」

彼はライバルに上回るために、創作を重ね、作り話の名人と目されるようになる。そのため彼の家族に本当の悲劇が訪れたときに、それを誰も本当の話とは受け取ってくれなかった。この出来事をきっかけに、彼はいつもの通勤仲間と別れ、注目を浴びるための創作もやめてしまう。

この小説は、「虚構」がいかに誕生するか、を端的に描いている。まず初めに、人々に面白い話を聞かせて賞賛をえることの欲望がある。話によって他者の承認を得るという欲望はばかにならない。それが全ての創作を支える土台なのだ。この土台の上で、事実を語ることは、容易に話を「盛る」ことへとつながり、絶えざる「創作」へと飛翔(あるいは堕落)する。

ところで、中島敦の『狐憑』(1942)では、未開社会において、近代社会とは別のベクトルで「創作」を生まれるプロセスが示されていた。他者の霊が乗り移る「憑き物」によって無意識に「うわごと」を語るようになった主人公は、しだいに様々な「空想物語」を多くの人に聞かせるようになる。やがて彼の創作が社会の秩序に背くようになると、権力者たちは彼を排斥してしまう。

創作というものが、個人の生活から生み出されるにしろ、あるいは神の言葉から生まれるものにしろ、いずれにしろそこにはある飛躍や分離という特別なきっかけが必要であるに違いない。

 

『アウル・クリーク橋の一事件』 アンブローズ・ビアス 1890

昔から「胡蝶(こちょう)の夢」型というか、「邯鄲(かんたん)の枕」型というか、要するに今でいう「夢オチ」の物語が好きだった。

芥川の『杜子春』のようにそれがハッピーエンドに終わるのも悪くないが、死に臨んでみる夢という設定の意外性と悲劇性の組み合わせに心惹かれていたと思う。

記憶をさかのぼると、手塚治虫の短編『生けにえ』に行き当たる。マヤ帝国の少女が神への生贄として首をはねられる直前、神への願いが聞き届けられて、二千年後の日本で10年間の平凡な家庭生活を送るという「夢」を見ることになる。短編集『ザ・クレーター』(1970)で、小学生の時に読み、子ども心にせつなくて強く印象に残った。この本は他にも名作ぞろいだけれども。

以下すべてネタバレとなってしまうが、映画では『ジェイコブズ・ラダー』(1990)が当時話題にもなり、僕にもとても面白かった。昨年リメイクされて、今年日本でも公開されたようだ。さほど有名でない『リプレイ(原題 THE I INSIDE)』(2002)や『ステイ』(2006)も、この種のパターンが好きな僕にはたまらなく、特に後者は映画として非常に優れていると思う。

そこで標題の『アウル・クリーク橋の一事件』だが、このパターンの古典的名作で、大学時代に読んだ。文庫本で20頁にみたない短編だが、オチが分かっていても読み返して面白い。その理由は描写の迫真性だ。

南北戦争のさなか、橋の上で絞首刑を待つ民間人の耳に、徐々に間隔をあけて、鋭く強い音が響く。気づくと、それが懐中時計の音だったという描写。ひもが切れて命拾いし水中に落下した彼の目に、川岸の木々の一枚一枚の葉までが見えたという描写。

どちらも死に臨んで異様に研ぎ澄まされた知覚を見事にとらえている。だから、読者は一連の描写を一続きの現実と受け取らざるを得ないのだ。

命からがら川を脱出した主人公は、森の中を自宅へと急ぐ。ここからの描写は、妙に抽象的でリアリティを欠き、終局への巧みな伏線となっている。

「樹々の黒々とした幹が、路の両側に真直ぐな壁をなし、遠近画法の練習でえがく作図のように、地平線上で一点となって終っていた」

 

 

 

 

『ビアス短編集』 大津栄一郎編訳 2000

十代の終わりに、少しだけ文学青年だった時期があって、その頃好きだった作家の一人が、アンブローズ・ビアス(1842-1914)だった。短期間だったから、多くの作家に触れたわけではない。小栗虫太郎も好きだったから、少し異端の匂いがある作家が気になっていたのだろう。

岩波文庫の新しい短編集を読み直してみると、感心できる作品は少なくて、南北戦争を舞台にした作品に限られることに気づく。「アウル・クリーク鉄橋での出来事」「宙を飛ぶ騎馬兵」「チカモーガの戦場にて」、これくらいだ。

南北戦争は彼が18歳の1861年4月に始まって、22歳の1865年4月に終わっている。北軍義勇兵になったビアスは激戦地を渡り歩き、士官に昇進する。戦闘で重傷を負ったり、捕虜となって脱走したりする経験も重ねて、終戦を迎える。

ちょうど高校を卒業して大学に入学し、卒業するまでの4年間とぴたりと重なるのだ。「南北戦争ビアスの学校だった」と言われるそうだが、まさにいい得て妙だ。戦いから四半世紀を過ぎて書かれたビアス南北戦争ものは、小説の技巧の巧拙を超えて、事実そのものとしての戦争を突きつけてくる。だから命脈を保っているのだろう。

僕が大学時代に読んだのは、同じ岩波文庫でも薄い『いのちの半ばに』(西川正身訳1955)だった。収録作品は半分弱で、作品は新訳と重複している。

近ごろ翻訳小説を読む機会も増えて気づいたのだが、必ずしも新訳の方が良いわけではない。ビアスの新訳も日本語の文章としてどこか散漫な印象で、読みにくかった。それどころか、小説の要を理解していないと思われる翻訳さえある。僕がたまたま気づいたところを示してみよう。

「行方不明者のひとり」は、斥候に出た兵士が建物の崩壊の下敷きとなり、身動きの出来ない自身の頭に、埋もれたライフルの銃身が向いているという絶体絶命の事態を描いている。兵士は覚悟して何とか手を伸ばし、引き金をひく。

しかし銃弾は発射されない。建物の崩壊の衝撃で誤射されたしまったからだ。ここで旧訳は「だが、銃はそのなすべきことを見事果たした」と続く。一方、新訳では「ライフルはすでに自分の仕事は果たしていたのだ」になっている。

では、この小説のオチは何か。兵士は、弾丸に当たることなく死んでいて、しかも実際にはわずか20分くらいの必死の葛藤が、兵士を死後一週間の遺体に見せるほど消耗させていた、というものだ。

旧訳は、精神的な恐怖が兵士を死に至らしめたことを暗示しており、スムーズに結末へと読者を導くものだ。新訳では、ライフルの誤射の説明を繰り返しているとしか読めないから、結末の兵士の死が唐突なものになってしまい、オチがうまく機能しなくなっている。

 

『夢があふれる社会に希望はあるか』 児美川孝一郎 2016

著者は、今の世の中が「夢を強迫する社会」となっていること、学校におけるキャリア教育がこの風潮を作っていることを指摘する。この指摘は、はじめ僕には違和感があった。これが本当なら、僕の知らないところで、いつのまにか世間がそうなってしまったことになる。

著者は、次の三つの段階を経て、現状が作られたと見立てる。

①1980年代、とりわけバブルの時代の「社会的風潮」     豊かな社会が到来し消費が中心になると「個性」がもてはやされるようになる。1984年に臨教審が「個性重視の原則」を打ち出す。

➁1990年代以降の「失われた20年」に期待された人間像     バブル崩壊によって経済が失速し、新自由主義(競争原理と自己責任)の時代となる。若者たちの就職難や非正規雇用の拡大と上昇志向の衰えは、この社会の変化によるものだったにも関わらず、政治家や起業家たちは、若者自身の意欲や能力に原因を求める「若者バッシング」を始める。 

③2000年代半ば以降の「キャリア教育」     この政財界の意向を受けて、2004年度から全国の学校で、フリーター・ニートの予防を念頭においたキャリア教育が始まる。

僕は、こうした一連の動きが始まる前の1980年代前半に学校教育を終えて、社会人になっている。どうりで著者の言う「夢を強迫する社会」を実感できないはずだ。

学校と社会との間に大きな断絶があり、そのギャップに悩んだ世代だから、近ごろのキャリア教育というものを、むしろうらやましいくらいに思ってながめていた。その背景にこのようなカラクリがあるとはうかつにも気づかなかった。

著者は、この社会を前提にしたうえで、若者たちに「夢」と距離をとって、上手につきあうことを提案する。現状分析と比べてややなまぬるい感じがする提案だけれども、若者への実践的な手引きとしては十分なものだと思う。

著者の児美川さんは、僕が学生時代、東京郊外の地元で公民館活動をしている時に、一学年下で時々顔を合わせる東大教育学部の学生だった。おそらく志を実現して教育学者となり、すでにキャリア教育研究の権威として多くの著書をもっている。このこともまた感慨ぶかい。

 

『公務員クビ!論』 中野雅至 2008

これも積読本。公務員の不祥事によるバッシングと公務員改革が本格化した頃の本だ。今になってようやく読む。

公務員受難の時代が続くという予言は当たったが、著者の主張する官民統一から官民流動の流れが起きているとはいえないし、12年たっても公務員をめぐる状況は、たいして変化していないように見える。だからこそいっそう危機的なのだろうが。

著者は市役所職員を振り出しに、労働省のキャリア、県庁管理職、国の出先、公立大学教員という様々な公務員経験をもち、公務員とひとくくりにできない職種の内情を語っている。特に、2000年ごろからのキャリア官僚の受難の証言が興味深い。

まず、「所管争い」という省庁のセクショナリズムに疲れ果てる。次に、「族議員」から怒鳴って労務管理されることへの不満。政治主導、さらには官邸主導のもとで増え続ける雑用。官僚は優秀/無能という評価使い分けるマスコミ・世論の公務員バッシング。「政治的案件」処理等でリスクが高まる利害調整への嫌気。

ちなみに、キャリア官僚への志望動機の本音は「権限と権力」の魅力であり、地方公務員の場合は「安定」なのだそうだ。

著者は、最後の章で、格差社会における行政サービスの困難について論じている。格差が広がる中で、「地域ブランド」の重要性がいっそう高まること、教育環境の整備で「格差を固定化しない」努力が可能なこと、という二つの指摘は示唆的だった。

 

 

 

心的現象としての夢

近ごろ、NHKの教養番組で取り上げられたためか、吉本隆明(1924-2012)に一般の注目がいくらか集まっているようだ。角川文庫版「主要三部作」が増刷されて、書店で平積みになって売られている。

吉本を語りたい層が、かろうじてまだ健在なんだろう。僕は若い世代に吉本をすすめる気はないが、それなりに読者としてのつきあいは長いので、吉本に関するネタのストックがある。さもしい話だが、吉本が話題になれば、そのネタを使えるという社交上のメリットはあるのだ。

「主要三部作」のうち『心的現象論序説』を持っていなかったので、書店でぱらぱらとめくると、夢に関する章が目にとまった。前回に書いたように夢の考察は僕の大切な課題だし、吉本流の「斜め上」の理論も、思いがけないヒントになるかもしれない。

そう思って、全300頁のうち約50頁にわたる「心的現象としての夢」の章に目を通してみた。全体の6分の1に当たるかなりのボリュームだ。今になって吉本の主著を読むことになるとは、人生何が起きるかわからないとちょっと感動する。

ところが、吉本はやはり吉本だった。具体的に夢を理解する上で手がかりになるようなものはまるでなかった。フロイトやフロムの著作や自らの夢体験をダシにして、それを自分なりの心的現象に対する理解の枠組み(概念装置)に強引に落とし込んでいくばかりなのだ。その気合は伝わるし、本人にはきっと十分な理論的快感があるのだろう。

しかし、はかなくも不思議な夢という繊細な現象に目をこらして、そのありのままを理解したいという立場からすると、手がかりとなる言葉も分析もまるで見当たらない。

とはいえ、乗りかかった船だから、『心的現象論』全体に目を通してみようと思った矢先、飲みかけのお茶がカバンの中で漏れたために、この本を含む何冊かの本を台無しにしてしまった。やはり縁はなかったか。