大井川通信

大井川あたりの事ども

夢の話はつまらない!

このブログに目を通してくれている知人と話していたら、「こんな夢をみた」のシリーズがひどくつまらない、という話がでた。

他人の夢の話がここまで面白くないとは。題名をみただけで、スルーしている。等々。

申し訳ありません。しかし指摘されて、なるほどと思った。このシリーズは夢日記であって、僕が見た夢の単なる記録である。夢とはなんなのか、いつかはわかりたいと思っているから、そのための資料と思って記録している。だから、他の人が読んで意味が通ったり、少しは面白くなるような脚色や演出は、意識的には加えていなかった。

さらにいうと、僕の見る夢自体が、もともとあまり面白いものではない、という問題がある。明確なストーリーをもたない断片が多く、そもそもあまり夢をみないから、自分にとって希少価値があるのかもしれない。

この夢の記録のシリーズ以外の記事は、どんな不出来なものでも、読み手のことを考えて文章を作っている。その気持ちがあるかないかが、はっきりと文章に出てしまうのだろう。

重ね重ね、申し訳ない。将来的に、この無味乾燥な資料群をもとに、面白い夢論を書くのがせめてもの罪滅ぼしになるだろうか。いやならないか。

 

こんな夢をみた(合歓の木)

実家の隣の原っぱが、きれいに雑木も雑草も刈り払われて、平坦な土地になっている。けれど、合歓(ねむ)の木だけは、空き地の真ん中に一本残されている。

昔から懐かしい合歓の木だ。栗の木ばかりの中を、手のひらのように枝を上品にひろげて、季節にはきれいな花をまとっていた。

あのころは幹もまだ細かったが、今はどのくらいになっているだろう。幹を見ると、すでに両腕を回してようやく届くくらいの大木になっており、根元には、見慣れない巨大な石があって、根と幹がそれを抱え込んでいる。

こんな石はなかったはずと思いながら近づくと、巨石の表面には子どものいたずら書きのような文字が彫られている。

これは僕たちが彫ったものではない。すると、僕たちのあとにこの原っぱで遊んだ子どもたちいて、彼らがこれを記念に彫ったのだろう。そして、この合歓の木を大切に保存しようと考えたのに違いない。

思い出の樹形そのままで大きくなった合歓の木を見上げながら、時の経過を淋しく思いつつ、こんなふうに大切にされていることがうれしかった・・・

 そうして、目を覚ました。

実家の隣の原っぱは、何年も前に造成されて、数軒の家の敷地になってしまったことを思い出す。すでに実家も人手に渡っていて、合歓の木など跡形もないのだ。

 

 

『地方消滅』 増田寛也編著 2014

5年前のベストセラー。帯には、「新書大賞2015第1位」の文字が躍っている。例によって、積読本を今になって読む。

出生率の低下や少子化につていは、だいぶ前から社会問題になっていた。しかし、そのことがもたらす人口減少については、せいぜい高齢化が指摘されるくらいで、具体的なイメージが語られることが少なかったと思う。

本書では、人口減少をあくまで地域単位で分析する。ある市町村にとっては、それは自然増減と社会増減という二つの要因の組合わせだ。前者に対しては、従来の「少子化対策」が効果を発揮するが、後者に対しては、自然流出を食い止める「地域構造対策」が必要となる。

人口減少に対しては、それは必然であり、かえって国土が住みやすくなるという気楽な議論がある。本書は、それがどんな人口減少なのかを問題にし、無策であればこうなるという最悪の青写真を提示する。

各市町村ごとの若年女性数の推移に注目して、それが30年間(2010~2040)で5割以下となる市町村を「消滅可能性都市」と判断すると、それが896自治体にも呼ぶという。

東京一極集中が、本来地方で子育てすべき人たちを吸い寄せて地方を消滅させるだけでなく、子育てしにくく出生率も低い大都市の環境の中で、結果的に国全体の人口を加速度的に減少させていくという青写真だ。

これに対して著者は、少子化対策とともに、地方中核都市を最後の踏ん張りどころとして新たな集積構造を構築し、人口流出に対する「ダム機能」を果たさせるべきだと提案する。

この本は当時衝撃をもたらして様々に議論された。とくに地方の住民や政治の意識を変えて、政策に影響を与えるくらいのインパクトがあったと思う。日々の生活で無意識に感じていることを明確に言葉にされたような印象があったからだ。

現状のデータはどうなっているのだろうか。大きなトレンドに抗するのは困難だが、地方における様々な努力が多少とも実を結んでいてほしいと思う。

 

『李陵・弟子・山月記』 中島敦 1967(旺文社文庫)

1979年の第38刷。1981年2月20日の購入日の書き込みがある。大学1年、19歳の時だ。まさか40年後に手に取って読み直すなんて考えてもいなかっただろう。

以前なら、活字の大きい読みやすい紙面の文庫に買いなおして読んだだろうが、今となっては旺文社文庫は貴重だ。老眼鏡の目をこらして、必死に読む。ルビなんてシミのようにつぶれて読み取れない。

読書会の課題図書で手に取ったけれども、今になってかえって輝きを増している印象がある。読みにくいと敬遠していた代表作『李陵』が群を抜いている。『弟子』はやはり泣ける。『山月記』は何度読んだかわからないが、その完成度には目を見張らされる。

中国の古代の話をベースにして、登場人物の内面についていわゆる「近代的な解釈」を施したものだが、芥川がよくやるように近代人のひ弱な内面を投影したりしているのではなく、どの時代にも通用するような骨太の性格を描き出している。だから、とってつけたようなものとはならずに、元の物語と見事に融合しているのだ。

中国の古代の物語に向き合う著者の解釈や問いは、骨格のしっかりした堂々としたものだが、その根底には、「自分とは何か」という血を吐くような激しい問いがあることを、今回の再読であらためて発見した。

人間にとって本質的なこの問いから目をそらしていないから、中島敦の作品は深い泉のように澄明なのだろう。

 

「いったい、獣でも人間でも、もとは何かほかのものだったんだろう。はじめはそれを覚えていたが、しだいに忘れてしまい、はじめから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか?」(『山月記』)

 

梅崎春生を読む

安部さんと話しているとき、梅崎春生(1915-1965)が話題になった。梅崎は、戦前津屋崎の療養所にいたことがあったという。『蜆(しじみ)』とかいいよね、と安部さん。それで、短編の『蜆』を読むと、なかなか良かった。

古い外套をめぐって、それをもらったり、はぎとられたり、売ったりする話なのだが、ゴーゴリの『外套』みたいに強者と弱者、善と悪がはっきり分かれているわけではない。終戦直後の風俗を背景に、生きることの哀感が、ていねいにユーモラスに描かれていた。

この夏、鹿児島に日帰り旅行をしたとき、思いついて梅崎の『桜島』を読んでみた。桜島終戦を迎える軍隊内の様子をリアルに描いていて、ちょっと重たい感じだった。この実体験に基づく小説は、終戦の翌年に書かれている。

軍隊での人間関係や戦争にのぞむ気持ちなど、同時代の人にとってはあるていど共通了解事項があって、小説ではそこからさらに踏み込んだ記述となっている。もはやその共通了解のない僕たちにとって、小説が難解に感じられるのは仕方ないことだと思う。それは貴重で、大切にしたい難解さだ。

それをきっかけに短編集を読んでみると、どれも面白かった。

『春の月』では、車が通りすぎて泥水をかけられる、なんてちょっとした出来事をきっかけに、作者の視点が移り、今度は車中の人が主人公になる、という面白い手法がとられている。こんなふうに次々と主人公が入れ替わっていくのだが、同じ町内のことだから、因果は多少つながっているようでいて、それぞれのエピソードが中途半端に放置されているところがいい。

『ボロ家の春秋』の語り口や、同居人との間の下世話な確執など、つげ義春の漫画の世界に通じるものがある。井伏鱒二を読んだときも感じたことだが、つげの作品には、文学者からの影響が強いのだろう。

梅崎の良さがわかってから、『蜆』を再読すると、さらに面白く感じられた。おそらく何度も読み込むことで、いっそう味わいの出る作風なのだろう。いい作家に出会えたと思う。

 

 

「家系ラーメン」の幻想

味覚とグルメに関してはまるで自信がないと、このブログでも書いてきた。それでも凝り性だから、何かの食べ物に憧れたりすることはある。その場合でも、せいぜいB級グルメなのだが。

家系ラーメンというものを初めて知った時には、まず、その不可解なネーミングにひかれた。地名や食材ならばわかるが、「家」ってなんだ。

種明かしは、横浜の「吉村家」というラーメン店を源流とするラーメンで、のれん分けなどで派生した店の屋号に「〇〇家」が多かったため、家系という通称で呼ばれるようになったらしい。豚骨醤油の濃厚なスープと太麺、海苔とチャーシュー、ホウレンソウのトッピングが特徴だ。

以前、東京の実家近くの家系ラーメンに入ったら、そこがたまらなく美味かった。今の地元でも好きなラーメン屋は数軒あるが、そこを超えている。ただ、後から知ったのだが、そのチェーン店は、家系でもさしてメジャーな店ではなかった。

その後、帰省するたびに、別の家系にも挑戦してみたのだが、初めに食べた店ほど美味しくはなかった。しかし、がっかりするほどではなく、僕の中で地元では食べる機会のない家系ラーメンへの幻想はふくらむ一方だった。

ネットで調べると、こちらの地方でも家系を食べさせる店はある。しかも最近、老舗直系のラーメン店が大々的に進出したのを知る。コロナ禍で出向くことを控えていたが、いよいよ今日、出かけることにした。早朝ジョイフルに出向き、モーニングを食べながら3時間ばかり読書をして、片道一時間のドライブでお店につく。

店はいかにも家系という感じで活気があり、ビジネス街の休日のお昼前にもかかわらずそこそこお客もいる。ラーメンには海苔を増量し、卵をトッピングした。手ごろな値段の野菜の小皿とチャーシュー丼も頼んでみた。

ところが、これが、まったく美味しくない。肝心のラーメンが、辛いばかりで旨味にとぼしい。サイドメニューの二つも、同様の味付けでまるで美味しくない。

その予想外の出来事に、自分がコロナに感染しているんじゃないかと怖くなった。嗅覚が失われる症状もあるというなら、味覚がおかしくなることもあるかもしれない。しかし、味がしなくなったわけではなく、しっかり美味しくないと感じるのだ。

おそらく初めに食べた家系の店の味付けがたまたま僕の「未開の」舌にマッチしたというだけなのだろう。もうこの店には来ることはないという思いとともに、僕の家系ラーメンへの幻想はがらがらと崩れていった。

 

あだ名について

人のあだ名をつけるのが上手な人がいる。人の物まねをするのが上手い人がいるが、それと同じような一種の才能だろう。

子どもの頃は、友人同士や教師にたいしてふつうにあだ名をつけていたと思うが、大人になると、そもそもあだ名というものにめったに出会わなくなる。自然と、あだ名付けの名人出会う機会もなくなる。その才能のある人間も、腕を振るう機会を失って、埋もれていってしまうのだろう。

社会人になって、同僚で一人だけ、この名人に出会ったことがある。この人のつけたあだ名を忘れることができない。

「お猪口」。器量が小さく、びっくりするようなささいなことでも怒りだす上司に対して。器がお猪口(ちょこ)のように小さいという意味。

「たくらみメガネ」。ていねいで上品だけれども、いつもメガネの奥で何か策略を練っているような同僚に対して。これはそのものずばり。

もちろん批判や揶揄の気持ちが込めてあるのだが、相手を一方的に責め立てるのではなくて、どこか余裕をもって関係を受け入れて楽しむという余地を残しているような気がする。

 

 

夜中、目がさめて

夜中目がさめて眠れなくなる、なんてことはめったにない。気が小さいわりには、変に図太く、無神経な人間なのだ。

けれど、珍しく今がそういう状態だ。ふと食べ物のことが頭に浮かんだら、連想がつながって昔のくらしことを思い出す。昔の日々には愛着はあるけれども、我ながらぶざまで誇れるようなものは、何もない。

人にもずいぶんと迷惑をかけた。後悔していないわけではないけれども、真剣に後悔するほどのモラルや軸が、自分の中にはない。ぶざまで、人に迷惑のかけ通しだった日々も(そして現在も)、それはそれで仕方なかったし、水に流してもらうしかないのではないか、という一種の甘えみたいなものが、気持ちの底流にある。だからこそ、ぶざま日々を(そして現在を)多少の愛着をもって受け取ることができるのだろう。

もっとうまくはできなかったのか? ふとこんな疑問もわくけれども、まったくそんな気はしない。自分なら、なんど繰り返しても、同じような低迷と停滞と愚鈍を繰り返すだろう。別に悲観しているわけではなく、純粋にそういう体感がある。

だから、人生は、過去の自分は、一度だけで充分だと思う。現在の自分も、この一回だけで充分満足だ。たいしたことはできなかったけれど、たいしたことではない過去と現在とに思いをいたして、どこのだれかともわからぬ何かに感謝の気持ちをささげたいと思う。

夜中目がさめて、そういうことを考える。

 

乱歩と十三

海野十三(1897-1949)の短編集を読み切った。少年時代からその名前に不思議な魅力とあこがれを抱いていた作家だから、実際に読むことができてよかった。しかし一冊読んだ限りでも、むしろ同時代の江戸川乱歩(1894-1965)の偉さを実感してしまう。

たとえば、十三の「三人の双生児」(1935年)では、生き別れた姉妹への思いや、シャム双生児、曲馬団の出し物、変態性欲などの乱歩好みでもあるような題材が並べられて、興味をもって読み進めることができる。

しかし、それらはあくまで小説を飾るための材料でしかなく、登場人物たちも極端な役柄を無理にあてがわれた大根役者のようだ。人間としての厚みや振る舞いの必然性がまるで感じられない。

一方、乱歩の短編では、同時代の文学と比べてもそん色がないくらいに深く人間が描きこまれている。それは、退屈という時代感情や、不具や死体などの肉体への偏愛や、レンズや鏡への執着など、一見好奇な題材であっても、それらが全て乱歩自身の肉体や感覚を潜り抜けたものであるからだと思う。

人間の存在や感情の奥底が押さえられているから、どんな人物もまぎれもなく生きている。だから、乱歩はどんな小品でも読ませるのだ。

一方、十三の作品に読めるものが限られているのは、それがあくまで題材やアイデアの出来不出来に依存しているからだろう。

 

 

 

ある「副都心」の盛衰

僕は、大学を卒業した36年前に、転勤でこの地方都市に越してきた。全くの偶然としか言えないが、別の会社に就職した友人もこの街の支店勤務になった。

僕の勤務場所は、100万都市の中心街にあったが、友人の支店はそこから少し離れた街にあって、その政令都市の位置づけでは、「副都心」となっていた。

副都心? 東京育ちの僕たちにとって、副都心とは巨大都市新宿であって、地方への差別意識丸出しでそれを嗤い合った記憶がある。

それでも当時、その街の駅前には、三つのデパートがあり、放射状に広がるアーケードの商店街とスナックが集まる歓楽街があった。休日にはデパートの駐車場には長い列ができた。今では考えられないが、少し離れた住宅街の路上に駐車して何度か違反切符を切られた痛い思い出がある。

しかし、その頃すでに街の主力産業の衰退が言われており、友人の仕事の顧客にも自殺者が出るなど景気の悪い話が多かったと思う。やがて商業施設の撤退が始まり、アーケード街にもシャッターが目立つようになるが、行政のてこ入れによって、駅前に不相応な大きな複合ビルが建てられた。しかし全体的な需要の減少の中でお役所のもくろみが成功するはずもなく、すぐにそのビルも実質的に閉鎖状態となり、一部に公共施設を入れることでお茶をにごしている。

そして最後に残った駅前のデパートが、昨日閉店したというニュースを見た。涙を流す店長以下の店員が頭を下げる中、店のシャッターが下りていくというあのシーンである。

驚くべきことだが、これでこの副都心からは商業ビルはまったくなくなってしまった。アーケード街もほぼ空洞と化している。交通機関の中継点として利用する以外の目的でこの街を訪れる人は激減するだろう。

理由は簡単だ。かつてのこの街の「商圏」の範囲内に、今ではいくつもの巨大ショッピングモールがあり、十分な駐車スペースにより自家用車でのアクセスが容易になっている。売り場面積も品ぞろえも、駅前の小型デパートが対抗できるレベルではない。

ある程度の規模と体力がある街だけに、凋落が進行する姿は痛々しい。