大井川通信

大井川あたりの事ども

梅崎春生を読む

安部さんと話しているとき、梅崎春生(1915-1965)が話題になった。梅崎は、戦前津屋崎の療養所にいたことがあったという。『蜆(しじみ)』とかいいよね、と安部さん。それで、短編の『蜆』を読むと、なかなか良かった。

古い外套をめぐって、それをもらったり、はぎとられたり、売ったりする話なのだが、ゴーゴリの『外套』みたいに強者と弱者、善と悪がはっきり分かれているわけではない。終戦直後の風俗を背景に、生きることの哀感が、ていねいにユーモラスに描かれていた。

この夏、鹿児島に日帰り旅行をしたとき、思いついて梅崎の『桜島』を読んでみた。桜島終戦を迎える軍隊内の様子をリアルに描いていて、ちょっと重たい感じだった。この実体験に基づく小説は、終戦の翌年に書かれている。

軍隊での人間関係や戦争にのぞむ気持ちなど、同時代の人にとってはあるていど共通了解事項があって、小説ではそこからさらに踏み込んだ記述となっている。もはやその共通了解のない僕たちにとって、小説が難解に感じられるのは仕方ないことだと思う。それは貴重で、大切にしたい難解さだ。

それをきっかけに短編集を読んでみると、どれも面白かった。

『春の月』では、車が通りすぎて泥水をかけられる、なんてちょっとした出来事をきっかけに、作者の視点が移り、今度は車中の人が主人公になる、という面白い手法がとられている。こんなふうに次々と主人公が入れ替わっていくのだが、同じ町内のことだから、因果は多少つながっているようでいて、それぞれのエピソードが中途半端に放置されているところがいい。

『ボロ家の春秋』の語り口や、同居人との間の下世話な確執など、つげ義春の漫画の世界に通じるものがある。井伏鱒二を読んだときも感じたことだが、つげの作品には、文学者からの影響が強いのだろう。

梅崎の良さがわかってから、『蜆』を再読すると、さらに面白く感じられた。おそらく何度も読み込むことで、いっそう味わいの出る作風なのだろう。いい作家に出会えたと思う。