大井川通信

大井川あたりの事ども

『生まれてこないほうが良かったのか?』 森岡正博 2020

読書会での課題図書。「反出生主義」を扱っていることで、話題となった本のようだ。

僕も『無痛文明論』や『感じない男』を面白く読んでいて、とくに前者はこれから生きていく上での参照軸になりうると思ったくらいなので、この本も楽しみにしていた。しかし、哲学プロパーの議論だとどうも著者のマイナスの面が出てしまうようで、読書会でも思いっきり否定的な意見がでていて、それは僕も共感できる内容だった。

つまるところその批判は、著者が「生まれてこなかったほうが良かったのか?」等の反出生主義的な問いを、「本気で心の底から」(著者がよく使う言い回し)問うていない、ということにある。それが分かるのは、叙述のところどころに著者の「誕生肯定」的な本音が生の形で無防備に顔を出しているからだ。

だから、どんなに反出生主義の系譜を様々な思潮や哲学者に即して検討しても、それは自分の誕生肯定の信念を補強するための手段にすぎなくなる。どんなに精緻な論理も、あらかじめ結論が決まっているストーリーが面白いはずがない。

実は『無痛文明論』でも、著者の信念が検証されないままに確信をもって語られることが多いのだが、異様な迫力と熱を帯びて大風呂敷を広げているために、それが独特の魅力となっている。狭い哲学の領域では、著者の本領が発揮しにくいのではないか。

 

『なまえのないねこ』竹下文子(文)・野田尚子(絵) 2019

猫を飼うようになってからは、猫を主人公にした絵本がどうしても気になってしまう。

しかし、そもそも絵本にはなんでこんなにも動物たちが多くでてくるのだろう。猫や犬については、ペットとして家族目線でふだん見ているからわからないでもないが、登場するのが全部なじみのない動物だったりする話が普通にある。今時の絵本でも、かつてのおとぎ話以上に動物の話が多いのだ。当然ながら、大人になって読む小説にしゃべる動物たちが登場人物である話はほぼないだろうし、考えてみれば子ども向きの絵本でも人間たちが主人公の話だけでもいいような気がする。

絵本の世界で、動物たちが人間と対等の主体であり仲間であるという感覚を養うことはとても大切だと思うのだが、そういう意図があって今の結果があるわけではないだろう。ぜひ考えてみたい。

ところで、標題の作品に戻ると、やさしいストーリーの中に、名前をめぐるとても大切な認識が含まれている哲学的な作品だ。しかし、ほとんど理屈っぽさを感じさせないのは、よく練られた作品だからだろう。

今から30年くらい前、当時カリスマ的な人気のあった柄谷行人が「固有名詞」をキーワードとして使って、思想界でちょっとしたブームとなったことがある。固有名詞は、別の言語に翻訳されることのない普遍性を持つが、それはその対象を唯一の存在としてみる態度や関わりに基づいている、というような内容だった。

この絵本は、名無しの野良猫が名前を求める本当の理由に最後に気づく、というストーリーで、そこで語られるのは、この固有名詞の本質についてだ。

「そうだ。/わかった。/ほしかったのは、なまえじゃないんだ。/なまえを よんでくれる ひとなんだ。」

これが、その猫の最後のセリフ。猫を愛する者として、こんな素敵なハッピーエンドは本当にありがたい。

 

ブログが追いつく

このブログを書き始めたのは、2017年の1月からだが、記事を毎日更新するようにしたのは、その年の10月からである。だから、今月でちょうど丸4年、毎日記事を書いてきたことになる。

当初はブログの仕組みや機能もよくわかっていなかったので、とにかく生真面目に当日分をその日の内にアップすることを目指していた。それを余裕をもって行うためには、少し記事を書きためておいたほうがいい。

その後の初めてのピンチは、翌年の6月に突然母親が亡くなったときだった。東京に戻って一週間くらいは葬儀の手続きや後始末に忙殺される。精神的な負担も大きい。しかし、この時も事前準備の記事や、スマホで即興の思いを書いたりして乗り切った。

やがて、記事が少し遅れても、あとから日にちの設定を自由にできるから連続更新の体裁は整うということに気づいて、だいぶ精神的に余裕がもてるようになる。ただし、あまり遅れると取り戻すのが難しくなる。

今年の新型コロナ感染症の闘病では、ホテルと病院で20日以上家をあけて、記事をかける状況ではなく、継続には最大のピンチだったかもしれない。ただ、闘病期間中はある意味ネタの宝庫だから、その記録の意味もこめて、退院後に大量の記事を書き埋め合わせることができた。

それでも退院後の不調などもあって、記事の日付は一週間ばかり遅れた状態が続いてきた。これだけ続けてくるとブログの内容や更新状況は、僕の好不調のバロメーターになる。8月の後半から徐々にやる気を取り戻して、ひさしぶりに当日の記事を当日に書くという原則(下書きなのでアップは少し遅れるが)に戻ることができた。

ブログが遅れると、どうしてもブログが義務となりそれをこなすことが目的となる。それを書くことで満足してしまう。しかし、実際には、ブログは生活を切り開くための補助手段であり、生活にリズムを打ち、生活の中でモノを考えるための道具にすぎない。

僕には、これからこなさないといけない目標と仕事がある。連続5年目を迎えて、しっかりとブログを道具として使いこなしたい。

 

オニグモの巣

僕が子どもの頃の小学館の昆虫の図鑑は、虫の姿は絵で描かれていた。カラー写真を使うのが高価だった時代だったのだ。しかし写真だと、その一枚の写真うつりで印象ががらりと変わる。絵の方がその種類の標準的な特徴をもりこめるというメリットがあるだろう。

ところで、当時の昆虫少年にとって、唯一の情報源である図鑑の挿絵の描きぶりで、その昆虫の好き嫌いが決まってしまうところがある。クモの中でも、オニグモが実に立派に、しかし妙に平面的に描かれていて強い印象を受けた。ただ実物を見る機会はなかったと思う。

夕方、大井の田んぼを見に行こうとして街道を歩いているとき、空中に大きなクモが浮かんでいるのを見つけた。オニグモだ。街道と田んぼの間のフェンスに巣を張っているのは見たことがあるが、今度は、車道と歩道の間の何もない空間で、足元には少しの段差と雑草がまばらに生えているばかりの場所だ。

不思議に思ってよく見ると、頭上4メートルばかりにある電線から糸が何本か伸び、足元の雑草につながっている。さすがオニグモ、なんという大胆不敵な空間の占有だ。まだ巣をつくり始めたばかりだから、糸も少なくて目立たず、まるで目の前に黒く大きなクモが浮かんでいるように見えたのだ。

ちょうどクモは、中心部から放射線状に広がる糸を張り始めてところだ。武骨な姿にこんな繊細作業はちょっと似合わない。車道に車が走ると風であおられるし、無防備な場所だから、歩行者に気づかれたら、簡単に巣を壊されてしまうだろう。

田んぼをしばらく見てから戻ると、今度は同心円状に丸く糸を張っているところだった。思わずがんばれと応援したくなる。家に帰って当時の図鑑を開くと、一言「夕方にすをはる」という解説が。なるほど。

大型のクモたちも、その生活の場所ははっきりと分かれるから面白い。アシダカグモは古い建物の中の床や壁。ジョロウグモは林の中。コガネグモは、水田脇の水路の上だ。殺伐とした街道に巣をはるのは、オニグモくらいだろう。

 

仏道の師の話を聴く

コロナ禍で二年ぶりに羽田師の講演会があった。コロナ禍のため、師の来日はかなわず、アメリカからのズームによるオンラインの開催だ。宗門の人たちが60名ほど参加していたが、いつもどおり僕はまったくの部外者として聴かせていただく。

ただ、例年、師は宗門の人たち向けに専門的な講義を二日間に渡って行い、最後の一時間半で、一般向けの講演会を行っていた。僕が聴くのは、その最後の講演会だった。そこでは師によって把握された浄土真宗のエッセンスが語られる。

今回の三時間半のズームの講演は、例年なら宗門向けの講義の部分がコンパクトになったものだろう。だから経典に基づくより専門的な話が多かった気がする。

いつもなら師の話の迫力に圧倒されるばかりなのだが、今回はズームであることと、専門的な議論が多いこととで、やや距離をもって思いをめぐらすことができた。それを書いてみる。

師が提示する浄土真宗のエッセンスは、すこぶるシンプルだけれども、全身で受け止めざるをえないような力と豊かさをもった言葉だ。それは確かに歴史的には、釈迦から始まる仏教の積み重ねの中で紆余曲折の果てに生み出され、精緻に構築されてきたものかもしれない。経典を学習するということは、その複雑な経緯を追跡することだから、いくらでも詳細になるし、詳細なものを研究するのは人間のさがとしてマニアックな面白さと達成感を得られるのだろう。

しかし、その複雑と詳細を経由して目指すのは、結局のところシンプルなエッセンスなのだ。問題なのは、このエッセンスにいたるのに、歴史的な経典の振り返りが不可欠なのかどうかという点だ。

師の短い講演会やエッセイの中では、この振り返りもまた必要最小限のものになる。それを知る者からすると、いくら羽田師をもってしても、その振り返りの詳細なふくらましは、専門用語の言い換えや解釈の過剰に陥り、何かが深まり焦点が定まったというようには思えなかった。

仏教の議論の特徴は分類であり、その根底には強固な二分法の思考があるように思える。議論上何かを肯定し取り出すためには、その反対のものを想定し否定しなければならない。議論がこまかくなればなるほど、この否定の操作が増えていき、息苦しくなる。エッセンスのシンプルな豊かさからは遠ざかったいく。

少なくとも、今の時代、真宗のエッセンスを補強するのにふさわしい言説や体験は、仏教の経典以上のものが豊富にあるだろう。だから僕にとっての仏教は、羽田師の英文の簡潔なエッセイを読むことにとどめ、それを深めるのは、まったく別の活動(たとえば大井川歩き)に任せている。

このことは、今回の講義の最後の質問コーナーを聞いても間違っていないように思えた。そこでは、羽田師の講義のエッセンスとかけ離れた質問を繰り返す人がいて、師も少し気色ばんでいたように思う。それ以外の人達も、細かい経典の解釈についての質問で、そこには師も熱心に答えていたが、その解釈上の枝葉末節が、本日の講演の内容に正面からぶつかったものには思えなかった。宗門の人たちが最重要視する「聞法」(経典の学習)の限界みたいなものを感じたのだ。

 

 

「姿なき覚命(かくめい)」展を観る

大井川のほとりにある種紡ぎ・ムラで、村の賢人原田さんが、詩と書と絵の作品展を開催している。葉書サイズの案内状を印刷して、テーマを掲げた個展を開催するのは初めてではないのか。賢人も気合が入っている。旧家の納屋を改造したギャラリー(納屋の二階は原田さんの寝所だ)は手狭だけれども雰囲気がいい。真ん中に原田さんがどかっと座って、訪れた人をもてなす仕組みだ。

このギャラリーについては印象に残っていることがある。4年ほど前、種紡ぎ・ムラの人間関係がうまく行かなくなって破綻しかけた時があった。この場所に打ち込んできた原田さんは精神的に相当きつかったはずだ。

しかし、問題の渦中にあって、原田さんは、雨の日でもたんたんと納屋の改造作業を続けていた。その後ろ姿を見て、あらためて原田さんの生きる姿勢に感心した。原田さんの周囲にあるものは、作品だけではなく、全て日々の身体を動かす作業のたまものだ。

「姿なき覚命」とは、原田さんが20歳の頃、仲間と始めようとした理想の共同体づくりのテーマにした言葉だったらしい。半世紀たって、その言葉を自分の個展のタイトルとして掲げるという持続性。

原田さんは、この数年書と絵が融合した新しい作風を生み出し、日々インスタグラムで公開している。その作風は融通無碍に変化している。にもかかわらず、展覧会の案内に載せられているのも、ギャラリーで真っ先に目に入るのも、原田ファンにはおなじみの「村をつくろう」という詩だ。

ふと、原田さんにとってのムラとは、いわば仏教でいう三宝(仏、法、僧・サンガ)のサンガのことではないかと思い至る。ともに真理に向き合う実践を行う仲間たちの場としてのムラ。たとえ口に出さなくても、原田さんに本格的な宗教性を感じるのは、こんな一貫した思いからだろう。

ギャラリーの真ん中でニコニコと笑う村の賢人には、年配の人にありがちの権威的なもの、こわばったもの、の片鱗もみえない。幼児のような新鮮さ、無垢さ、うぶさが見て取れる。既存の組織や制度に守られることなく、まったくの市井の人として生きてきた上でのこの境地はまったく驚嘆にあたいする。

「真直ぐに   ゆらり

帰りがけ、展示されたカードの一枚が目に入った。この言葉も、いかにも賢人のたたずまいにふさわしい。

 

『100万回生きたねこ』 佐野洋子 1977

カフェで絵本を読む計画について書いたが、さっそくあれこれ読み出している。名前を知っているだけの話題作にも気軽に手を出すことができた。たとえば『えんとつの町のプぺル』。ストーリーは古典的でやや平凡だが、絵の存在感はさすが。

100万回生きたねこ』も今になって、初めて手に取った。うすい本だけれども、ずしりとくる読後感があった。

前半は、100万回生まれ変わったという猫の、一回一回の人生(猫生)を絵本らしく軽妙な繰り返しで描いている。どんな飼い主に飼われても、その飼い主との暮らしが大嫌いだと公言する猫。不測の事故であっけなく猫が死ぬ(これもいかにも猫らしい)と、飼い主はおおいに悲しんで、猫をていねいに埋める。その100万回の繰り返し。

猫好きとしては、この猫の傲岸不遜な態度と人間からの一方通行の愛情との対比がリアルでとてもよい。

ところが後半、猫はようやく人間から離れて野良猫として生まれ変わり、自分の家族と子どもをもつようになる。愛する妻猫に死なれた猫は、さんざん泣きじゃくったあげくに死んでしまい、もう二度と生まれ変わることはなかった、という話。

傍観者としての退屈な生活を繰り返してきた猫が、当事者としての一回限りの命を味わったことで生命を全うしたというように読むこともできるだろう。いわば猫の成長物語として。

しかし、前半部の猫の暮らしや態度にこそ、猫らしい魅力を感じるというのも本当のところだ。後半は、人間みたいな主観を猫の中にむりやり押し込んでしまったのが残念、という読み方もできる。

どんな解釈が今の僕の腑に落ちるだろうか。猫だろうが人間だろうが、この世で命あるものは、繰り返しの傍観者的な(生命の継承者としての)生き方と、一回的な当事者としての生き方との両面の生活を同時に行っている。そのどちらに優劣があるわけではない。

その大きなふり幅を、一匹の猫のストーリーの中で魅力的に造形したところにこの作品の力強い魅力があると思う。

 

『セクシィ・ギャルの大研究』 上野千鶴子 1982

上野千鶴子(1947-)の処女作。光文社のカッパブックスの一冊で、カバーに山口昌男栗本慎一郎の推薦文がのっているというのも、何とも時代を感じさせる。両者とも前時代的な冗談を駆使して、この本の画期性や面白さを絶賛しているところも。

森岡正博の『もてない男』があからさまに自分の性の問題を語っていてひどく面白かったので、そのつながりでこの本を久しぶりに読んでみたのだが、期待したほどではなかった。

同時代の広告をふんだんに使って、男女間のしぐさの文法を記号論的に読み解くという手法が、当時は斬新だったのだろう。また、当時はポスト・モダンの入り口で、社会や文化の動向への期待が強くあった時代だった。その後のずぶずぶの時代の経過と、理論の地盤沈下が、この本を魅力の大きな部分を奪ってしまったかもしれない。ただ、若き上野千鶴子の切れの良い文章は、今でも十分に読める。

当時よりずっと性をかたる間口は広くなってはいるが、別の意味でタブーも広がったような気がする。僕がこれから身体の問題に向き合う上で、性について避けては通れない。そのためのヒントは散りばめられている本だった。

ところで、若いころから上野のファンだった僕は、記憶にあるだけでも5回は彼女の講演やシンポジウムに参加している。再来月、僕の住む地域で上野の講演があると市報に載っていたが、当日は抜けられない介護の研修会がある。僕のフィールドへの降臨だけに残念。

 

 

新型コロナワクチンを接種する

8月末にステロイド剤の服用も終わり、医師の診断でも元の身体に戻ったということだったので、ようやく予約してコロナワクチンを接種する。地元の市では、すでに30代の順番に入っている。職場の同僚は、職域接種などで済ませている人が多く、ほとんどの人になんらかの副反応が出ている。

コロナワクチンについては、その話が出始めた時には、怖いしあやしいからできれば避けたいという感じだった。ただ、自分が実際に感染すると、エボラ出血熱の特効薬だの大量のステロイド剤だの、どう考えても身体に悪そうなものを投入して何とか生還させてもらった。後遺症の自覚はないものの、肺は傷だらけだろう。

感染はもうこりごりと思うし、今さらワクチンだけを避けたところでどうしようもないから、もはや抵抗感はない。感染者の動向をみると、素人目にもワクチンにそれなりの効果があることがわかる。それで、実際に接種者も増えているのだろう。

ただ、身近な人間を見ても、ワクチンをどうするか、緊急事態宣言下の行動をどうするか、といったあたりの判断は、その人の独立の判断というよりも、「組織」に属しているかどうか、そこでの連帯責任のプレッシャーをどれだけ受けているか、の要因が大きいような気がする。自分も含めて、日本人だなと思う。

指定された時間に会場に行くと、多くのスタッフと医療関係者によって、過剰ともいえるていねいな段取りによって、スムースに事前説明と待機と診療と接種が進んでいく。コロナ感染の事実を伝えると、大変でしたねと声をかけてもらう。

確かに不気味といえば不気味な雰囲気の会場だ。コロナ禍の前では、SF映画の中でしかありえないような情景だ。しかし、これを実際に動かしているのは、ひとりひとりの人間であり、人々の命を救い苦しみを少しでも減らそうという思いであるはずだ。感染してコロナの治療のシステムの恩恵を受けたからこそ、いっそうそう思う。

だから、何より不気味なのは、黙々とやってきて接種してかえっていく市民たちの無表情さ、だ。そこに感情の動き(たとえば感謝とか)をうかがえないことが、この状況下でやむを得ないこととは思いつつも、現代社会の大きな錯誤であり欠落であるように思えてならない。

園児送迎バス放置事件(事件の現場11)

7月ごろ全国に衝撃を与えたこの事件は、少し離れた市で起きたものだが、次男のお世話になった特別支援学校の近くにあるので、すぐ近所の道を何度も通っている。

夏の暑い盛り、朝の送迎バスの中に5歳児を置き去りにして、午後まで放置してしまったという、とんでもなくずさんな事件だ。夏に車を利用する身として、密封した車内がどれだけ熱せられるかを体感的に知っているだけに、痛ましい思いがする。

事前に報道で映像を見ることが多い現場を訪れると、決まってある違和感にとらわれる。放送用の広角レンズでは、現場は実際より広く映るし、ヘリコプターなどの上空から俯瞰した映像ではなおさら広々と開けた場所であるように見える。

ところが実際は、たいてい路地の奥の、建物や塀で視界のさえぎられた閉所で事件は起きているのだ。この保育園も行きつくのが難しいような建て込んだ街の細い道沿いにある小さな園で、ニュースでは広く見えた駐車場も、空き地に過ぎなかった。

おそらくこんな事件を起こさなかったら、僕たちのように近くを何度も通っている人間にさえ目に触れることがないような、まったく埋もれた場所だったのだと思う。事件は、その場所にくさびを打ち込み、土地を切り出し、全国から見えるように高々とそれをさらすのだ。

事件に関わった人々とその場所が負った傷は、簡単に癒されることはない。かつてだったら、地蔵などの石仏をたてて、地元の人たちが時間をかけてその傷をふさいでいったのかもしれない。現代の慰霊は、もしかしたらマスコミによる報道という制度が担っているのかもしれないが、それは、打ち上げ花火のような一瞬の「虚像」である。

事件の現場に出向くことは、虚像の陰にかくれた実像と向き合い、具体的に手をあわせて慰霊する行為だと僕は思っている。