大井川通信

大井川あたりの事ども

兄弟遺体遺棄事件(事件の現場10)

自宅から比較的近い場所で、全国ニュースになるような事件が続けて起きた。珍しく妻の方から、どんな場所で起きたのか見たいという。休日の半日を使って2つの現場をはしごすることになった。

一つは、発覚して間もない死体遺棄事件だ。市内の大きな住宅団地の一軒でそれは起きた。情報が断片的で事情はよくわからないのだが、その家の強制執行手続きで訪れた裁判所職員が、ビニール袋にくるまれて布団圧縮袋につめこまれた遺体を発見したという。

その後自首した容疑者は、死亡した兄の遺体だと証言する。3年まえに同居の父親が亡くなり、葬儀の数日前から身を寄せていた兄が、葬儀後倒れて亡くなったのだという。それが事実としたら、なぜ兄の死体を隠そうとしたのかが分からない。ニュース映像に映る容疑者は無職だというが、ごく普通の初老の男だ。

事件のあった家のある大規模住宅団地は、僕が住む住宅街よりもおそらく20年以上前に開発されている。だから高齢化は、一世代早く進んでいる。殺された兄は僕と同い年で、容疑者の弟は一歳下の58歳。三年前に親が亡くなったというのも、僕と同じだ。

違いは、彼らの家が親が購入した住宅団地の一戸建てだということだろう。僕自身は開発団地の第一世代だが、彼らは住宅団地に住む第二世代なのだ。その意味で、この事件は、僕がこれから体験するだろう高齢化した団地の問題を突きつけているような気もする。

丘陵を造成した斜面に延々と住宅だけが並ぶ様子は、ちょっと不気味で息が詰まるような気がする。捜査中の住宅の前の道は警察官によってふさがれていて、近づくことはできなかった。

 

 

 

 

 

『人は化ける!組織も化ける!』 中川政男 2005

昨年、ある経緯があって、ネットで購入した古書。実物を手にしたことに満足して読む気はまったくなかったのだが、かつてこの書の書名で笑いあった同僚と再会する機会ができたために、ネタとして読んでみることにした。

意外なことに面白い。子どもの頃は引っ込み思案で、たまたま就職した地元の信用金庫のやる気のない若手だった著者が、上司や顧客の経営者との良い出会いに助けられて、仕事へのやる気と情熱を持つようになり、山あり谷ありの会社員人生を送りつつも、最後に信金の役員にまでのぼり詰めるという話。その地位を不本意に退任することになったが、第二の人生として講演や経営塾を行う事務所を立ち上げるというオチがつく。

年間二百本という講演でのネタをまとめて本にしているためか、飽きることなく読み切った。信用金庫が舞台だから目線が低く、仕事ぶりも登場人物も泥臭くてリアリティがある。経験談としての面白さや説得力はあるが、部下を化かし、組織を化かすための方法論を読み取ろうとすると、基本は一生懸命長い期間やったおかげでそれができるようになったという手柄話だから、ちょっと著者に化かされたような気分にもなる。高度成長からバブル崩壊後までの経済の現場の記録としての意義もあるだろう。

今の僕には、一種の「定年本」としても読めることが有意義だった。著者は自らを例にして「人生二毛作」を提唱し、これまでの仕事とまったく別のことを、お金儲けとは関係なしに、できれば自営や仲間同士で行うことを勧めている。

このあたりの主張も講演や執筆という転身の仕方も、『定年前、しなくていい5つのこと』の著者大江英樹氏と似ているところがある。大江さんは大手証券会社でコンサルタントの仕事をしていたし、中川さんは信用金庫で営業や融資の仕事をしていた。二人とも、この社会の血液ともいうべきお金とその循環(経営や投資)に関する実践的専門家であるということが、その後の転身を容易にしているところがあるだろう。

お金には縁のない仕事や生活を送ってきたからとても彼らのマネはできないが、社会に訴求できる普遍性を軸において生き方を考える、という点では参考になった。

 

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ヒラトモ様へのお礼参り

コロナ感染症から回復してから、初めてヒラトモ様の里山に入る。参道の整備されているクロスミ様にはお参りをすませたが、夏になって山道がいっそう荒れているはずのヒラトモ様には、遠方からの遥拝しかできていなかったのだ。長雨と猛暑で足が向かなかったということもある。

このところ昼間でも暑さが落ち着いたので、竹の杖をついてクモの巣を払いながら、山道に挑戦してみることにした。豪雨の影響か道には泥や枝などが堆積している。見かけない大きな白いキノコがあちこちに生えているのは、長雨の湿気のせいなのか。ツクツクホウシが途切れることなく盛んに鳴く。

ヒラトモ様の石のホコラに新しいお酒を供えて祈りをささげる。平家物語の「知盛の最期」の下りを朗読して奉納する。出かけに思い付きで、闘病中僕の書いた文章のコピーを持って来ていたので、「人間の倫理」と「僕の神々」という二つの記事を読み上げて、感謝の気持ちを伝える。

今日は9月11日。職場から深夜に帰宅し、崩れ落ちるビルの映像に目を奪われたあの晩から、早いもので20年になる。ヒラトモ様にムラの平和と、あわせて世界の平和についてもお願いして、山を下りた。

 

 

田村隆一の詩を読む

いつも参加している詩歌を読む読書会で、田村隆一の詩集が課題図書になった。

田村隆一(1923-1998)は、戦後派の詩人の中でもとりわけ好きな詩人である。現代詩文庫も三冊買いそろえ、初期の名作だけでなく後年の作品にまである程度目を通している。僕にとって純粋に楽しんで読むことのできる数少ない詩人だ。

だから、田村隆一の圧倒的にかっこいい詩が、読書会で取り上げられるのは嬉しいと同時に、自分だけの宝物が他人の目に触れてしまうことへの抵抗感もあった。読書会はネットでも広報されているので、田村隆一をオンラインで読めるとなると今回は特別に参加者が多いのではないか、という期待もあった。

結論から言うと、僕の予想はまったくとんちんかんなものだった。参加者は今までになく少なかったし、参加者の反応も特別感心するという程でもなかった。

詩というものが時代や世代に強く縛られた文学であり、僕自身もずいぶんと歳をとって現役世代のはずれにいることを失念していたのだ。より若い世代にって、田村隆一はもはや時別な名前ではないのだろうし、僕が思う程、彼の作品から普遍的な訴求力を感じてはいないのだろう。

年表を見ると、田村は僕の父親より一年だけ年長で同じ誕生日だ。代表作といえる第二詩集の『言葉のない世界』の刊行が1962年だから、僕の生まれた翌年になる。20歳の頃初めて読んだときは、ずいぶん昔の人のような気がしていたが、今振り返ってみるとほぼ同時代の詩人といっていいくらいだったのだ。

例によって、7月に亡くなった岡庭昇の詩論集『抒情の宿命』(1971)から、田村隆一論を読んでみる。この評論の内容はよく覚えていた。岡庭が新進の詩人だったころの1967年の執筆だ。大仰な表現も目立つが、「言葉のない世界」論として、今読んでも説得力があるものだ。

「内部の主体と外部の世界とを共に甘くなれあわせて、何となく言葉の味わいとしては巨大なテーマをかかえこんでいるかのように思わせるところの言葉の積み木細工を、きわめて熟練したテクニックで作りあげたにすぎない」

岡庭は、この詩に「みごとなリズムの雄々しさ」と「骨格の太い文体構造」があることを認めつつも、それが時代に肉薄した思想的なリアリティを持っていないことを批判する。それはイデオロギーの時代には有効な批判だったのかもしれない。

ただし、今でも田村隆一の詩が色あせないのは、その思想ではなく美やレトリックへの志向であり、言葉の職人としての技術力のためだろう。岡庭が、マイナスの本質として的確にあぶりだしたものこそが、田村の作品を今でも輝かせているのは間違いないと思う。

 

 

安部さんからの葉書

闘病中の安部文範さんからハガキをいただく。驚き、かつ喜ぶ。

後遺症の影響かやや字体が違って見えたが、よく読むと間違いなく安部さんの文字だし、何より文体は安部さんそのままだ。コロナ禍で病院へのお見舞いはできないし、今年初めの段階では回復具合もまったく不透明だった。それ以降病状についての情報はなく、僕もあえて聞き出そうとはしなかった。

まさか、こんなに普通にハガキの筆をとれるほどよくなっているとは。安部さんは入院生活を「淋しい日々」と書いている。

翌日、僕はさっそく、今までのブログの中で玉乃井展の感想や安部さんに触れた記事を何本かプリントしたものを封筒に入れて、安部さんが入院している病院の受付にもっていった。いつかは安部さんに読んでもらいたいと思って書いた記事ばかりだ。

安部さんの入院先は、聞き取りをもとにして作った「大井始まった山伏」の絵本を持って、力丸ムツコさんの病床を訪ねた時と同じ病院だ。僕がコロナ禍で入院した病院に安部さんも一年近くいたのだが、僕の入院前後にはこのリハビリ専用の病院に移っている。こちらは小さい病院なので、階段を駆け上がればすぐに会える距離だが、コロナ禍で断念せざるをえない。

封筒には、吉田さんとの勉強会で使ったコロナ闘病記のレジュメもあわせて入れて置いた。僕の経験を安部さんはどんな風に読んでくれるだろうか。

 

 

絵本を読む方法

昔からファミレスで本を読んだり勉強したりするのが好きだったが、近年ますますそうなっている。家ではリビングでも自室でもすぐ横になって寝てしまい、本も読めなければ、まして勉強なんてできないのだ。

ジョイフルが御用達だったが、緊急事態宣言期間中は時短営業で朝も夜も使い勝手が悪い。ドリンクも料理もあきた。宣言下でも朝7時から営業しているコメダ珈琲を、休日の朝にはよく利用するようになった。店内はジョイフルに比べて薄暗く、狭く密な感じだが、その分だけ集中できる気がする。

今年になって街のショッピングモールに、例のカフェ併設型の本屋さんが入った。併設のタリーズコーヒーは帰省の時よく使っていたから懐かしい。カフェは席数も多く、注文さえすれば席を取ってモール内を歩き回ることができる。これは落ち着きのない僕にはありがたい。一冊なら、新刊本をカフェに持ち込めるという特典もあるが、本は自分で買って読むという主義の僕には関係ないと思っていた。

しかし、ふだん買わない絵本を気軽に手にとって目を通すためなら、このシステムを使い勝手がある。よさそうな絵本を店内で物色して、じっくり読みたいと思えばカフェに持ち込めばいい。それでも一冊読むのに10分もかからないから、勉強の休憩にもちょうどいい。コーヒー代のもとを取るなんてさもしい気持ちもある。

このやり方に気づいてから、ずいぶん絵本に目を通すようになった。以前は図書館で絵本を探そうと思ったが長く続かなかった。図書館よりも新刊書店の方が在庫も少数精鋭で棚に工夫があるから、手に取りやすい。

本は僕の数少ない趣味だが、本に関する知識も読書量も、今となっては並み程度だろう。昨年に司書資格を取ったが、それを活かすような地力はない。しかし絵本ならば、今の方法を続ければ、ある程度の専門性を獲得できるのではないか。大井川歩きでの絵本作りにも役立つかもしれない、と取らぬ狸の皮算用

 

 

『須恵村-日本の村-』 ジョン・F・エンブリー 1939

自分にとって、モノ・ヒト・コトバの三つの軸を束ねたものが「中心軸」となるだろうということを書いた。そのうえで、ここ5年以上取り組んでいる「大井川歩き」の実践が、その中心軸を生活の場において探っていくような試みだったことに気づいた。

ここでは、中心軸の三要素は、自然・ムラ・身体へと置き換えられる。あるいは遡られる。圧縮して書くとやたらに抽象的な整理に思われるだろうが、僕にとってはとても具体的で自明なイメージだ。

これからコミュニティや社会など人とどうつながっていくかを考える上で、そこに二重写しのようにあぶりだされる「ムラ」の姿をとらえる必要があるということ。

本書は、戦前に熊本の農村に一年間滞在して調査したアメリカ人社会人類学者による研究書。今年になって新しく全訳が出版されたので、ざっと目を通してみた。

日本人によって書かれた民俗学等の本は、同時代人にとっての共通了解事項は省かれる傾向がある。かつての伝統的な在り方が調査対象となる。しかし、著者は異文化からの目で、当時のムラの在り方を全体的に、その変化も含めた現状そのままを整理・報告しようとしている。

80年以上前の農村社会をもはや「外国人」の目で見るしかない僕にとって、この客観的な視線は心地いいし、わかりやすい。当時の姿は須恵村とさほど変わることはなかったはずの大井に残存する「ムラ」の要素を理解する上で、手がかりになる知識がたくさん書かれている。

今後、こうしたムラ理解のため本を読み進めていくつもりなので、その過程で本書の特徴や利点がいっそう明らかになるだろう。

 

切り株の話(ふたたび)

この夏は、和歌神社の銀杏の大木の下でカブトムシを何匹も見つけることができて、村の鎮守のビオトープ的な機能と、老木の効用について改めて思い知った。里山に入れば、大木が多く残されているが、集落の近くでは目立つ大きな木は数えるほどしかない。

鎮守の銀杏。村境の観音様の隣にあるクスの巨木。水神様の目印の老木は先年の台風で折れてしまった。本村橋のたもとの老樹も根元から伐採された。

今年の夏は、秀円寺の境内にある二本の杉が切られて、二つの切り株となってしまった。真っ白い切り株を見ると、木は健康そのもので伐採する理由がわからない。お寺の門前の田んぼが住宅地に開発されてしまったので、万一倒れた場合の苦情でも入ったのだろうか。

年輪を数えると、目が詰まっている部分があるのでわかりにくいが、ざっと150年は経過しているだろう。明治維新の頃から、この村の歴史を見下ろしてきた杉だ。人間の都合で木が切られるのは仕方がないが、それがちゃちな理由ではあってはならないと思う。

最新の小学校の教科書に、子どもたちが切り株の上に立って老木の思いを想像するという小説があったことを思い出す。僕も切り株の上にのって、寺の境内からしばらくムラをながめてみた。

 

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カラスのお葬式

以前は農村や峠の道で自動車にひかれた動物は、圧倒的にタヌキとイタチが多かった気がする。近ごろは、コロナ禍に自然の歯車も狂わされているのか、今までみたこともない生き物の轢死体を見かけるようになった。

いくらか前になるが、大きなイノシシが、歩道に血だらけになって倒れていた。初めは、なんでこんなところでイノシシが死んでいるのか見当もつかなかった。猟銃で撃たれた後、ここで力尽きたというのも不自然だ。しばらくしてから、自動車にぶつかって死んだというのが一番自然だと気づいた。街道には大型のトラックも走っている。

すると今度は、イノシシの子ども(ウリボウ)が車道に横たわっていた。シマシマ模様の小さな身体が可愛くて、つらい。

昨日は、首をすっと伸ばしたシカが道路わきに倒れていた。まだ子鹿だろう。「生きる時間が黄金のように光る」(村野四郎)いとまもなく、対向車のライトに目がくらんでひかれてしまったのだろうか。

イノシシもシカも、こんな形で見るのは初めてだ。

そういえば先日、見慣れない真っ黒い物体が対抗車線に落ちていた。通り過ぎる際に確認すると、カラスの死体だ。エサでもつつくのに夢中でひかれてしまったのだろうか。カラスの交通事故死を見るのも初めてのような気がする。そのとき、道路上の電線にたくさんのカラスが集まっているのに気づいた。

タヌキの死体などを数羽のカラスがつついているのを見たことはあるが、こんなふうに集まったりはしない。仲間の死体をエサとしてねらっているわけではないだろう。知能の高い生き物がおこなう仲間の追悼の儀式めいたものにちがいない。

カラスの寿命は20年くらいあるとどこかで読んだ記憶がある。近しい群れの一員として日々行動を共にした仲間の命が不意に断たれる。何するでもなく集まって呆然としているのは、生き物として不思議ではない気がする。

『追憶する社会』 山 泰幸 2009

自分の中心軸に沿ってそれを明らかにする読書をしたいと思うが、その本を自分が心から楽しめるか、が一つの基準になる。民独学の本は、今までそれほど読んだわけではないのだが、読んだときは決まって楽しめたし、気になった本は買いためてある。

それで、積読のこの本を手に取ってみた。民俗学の理論書だが、具体的な内容があるので面白くさらさらと読めた。

民話や伝説の意味をパターン化して内在的に探ろうとする従来の民俗学の定説的な解釈にあきたらずに、その外側にあるものとの関連で読み解こうというのが著者の基本的なスタンスのようだ。村落共同体の中の様々な言説群やその歴史的な変遷とのかかわりとか、もっと広い思想的・社会的文脈との関連が問題にされる。

この問題意識は、「大井川歩き」を素人臭い手つきで行っている僕にも、感覚的に共感できるものだ。ただ、僕の学識不足もあって、貨幣論や他者論を使っての民俗資料解釈はピント来なかったし、社会的文脈との関わりという面白い論点も、分量が少ないこともあってやや突っ込み不足という印象だった。

ただ古墳や伝説が、地域の近代化や現代のまちづくりとどうかかわるか、といった論点は、大井川歩きと直結するところだから、今後じっくり考えたいと思う。糸島や玄海など県内の伝承が取り上げられているのも親しみがもてた。特に古墳については、僕のフィールド内の伝説が引用されているのには、少し驚いた。