大井川通信

大井川あたりの事ども

「姿なき覚命(かくめい)」展を観る

大井川のほとりにある種紡ぎ・ムラで、村の賢人原田さんが、詩と書と絵の作品展を開催している。葉書サイズの案内状を印刷して、テーマを掲げた個展を開催するのは初めてではないのか。賢人も気合が入っている。旧家の納屋を改造したギャラリー(納屋の二階は原田さんの寝所だ)は手狭だけれども雰囲気がいい。真ん中に原田さんがどかっと座って、訪れた人をもてなす仕組みだ。

このギャラリーについては印象に残っていることがある。4年ほど前、種紡ぎ・ムラの人間関係がうまく行かなくなって破綻しかけた時があった。この場所に打ち込んできた原田さんは精神的に相当きつかったはずだ。

しかし、問題の渦中にあって、原田さんは、雨の日でもたんたんと納屋の改造作業を続けていた。その後ろ姿を見て、あらためて原田さんの生きる姿勢に感心した。原田さんの周囲にあるものは、作品だけではなく、全て日々の身体を動かす作業のたまものだ。

「姿なき覚命」とは、原田さんが20歳の頃、仲間と始めようとした理想の共同体づくりのテーマにした言葉だったらしい。半世紀たって、その言葉を自分の個展のタイトルとして掲げるという持続性。

原田さんは、この数年書と絵が融合した新しい作風を生み出し、日々インスタグラムで公開している。その作風は融通無碍に変化している。にもかかわらず、展覧会の案内に載せられているのも、ギャラリーで真っ先に目に入るのも、原田ファンにはおなじみの「村をつくろう」という詩だ。

ふと、原田さんにとってのムラとは、いわば仏教でいう三宝(仏、法、僧・サンガ)のサンガのことではないかと思い至る。ともに真理に向き合う実践を行う仲間たちの場としてのムラ。たとえ口に出さなくても、原田さんに本格的な宗教性を感じるのは、こんな一貫した思いからだろう。

ギャラリーの真ん中でニコニコと笑う村の賢人には、年配の人にありがちの権威的なもの、こわばったもの、の片鱗もみえない。幼児のような新鮮さ、無垢さ、うぶさが見て取れる。既存の組織や制度に守られることなく、まったくの市井の人として生きてきた上でのこの境地はまったく驚嘆にあたいする。

「真直ぐに   ゆらり

帰りがけ、展示されたカードの一枚が目に入った。この言葉も、いかにも賢人のたたずまいにふさわしい。