大井川通信

大井川あたりの事ども

里山の恐怖(その2)

ヒラトモ様のことは、村のお年寄りからの聞き取りと、幕末以来の文献で、薄皮をはぐようにわかってきた。それとともに恐怖の気持ちも薄らいできた。

おそらく事実はこうだ。初めは、時代のわからない武人の墓が山頂にあるだけだった。幕末に村人が盗掘のタタリを避けるために墓石を用いホコラ(これが今のヒラトモ様)を建てた。やがてこの地域の平家落人伝説の影響で、平氏の武将の墓と噂が広がり、戦争の時代、いくさの神様としてもてはやされた。村の婦人会が毎月交代で戦勝祈願のオコモリを行い、さかんに木刀が奉納されたという。鋭く曲がった木の根の供え物は、その記憶によるのだろう。戦後、平和の時代になると、軍国主義の遺物として忘れさられ、無名の石のホコラにもどったのだ。

考えてみれば、日本の近代の歴史に振り回された気の毒な神様である。僕は、平家物語の文庫本を持って山に上がり、平知盛の最期の場面をホコラの前で朗読した。一度は平家の名将としてまつられたヒラトモ様への供養になるとおもったからだ。

「見るべきほどのことは見つ、今はただ自害せん」と知盛が万感の思いを込めた辞世の言葉でしめくくって頭を下げる。するとこの時、ホコラの内側の壁に真新しく濡れた跡がついているのに気づいた。