大井川通信

大井川あたりの事ども

ヒラトモ様の祭壇

以前、ヒラトモ様のお参りをした時に、ふと個人的な遥拝所を作ることを思いついた。年々、里山も荒れて、枯れた竹が道をふさぐようになり、ヒラトモ様を祭る山の頂上へ登るのが難しくなっている。

もうしばらくの間、僕以外で、お参りをしてホコラの落ち葉を取ったりお供えをしたりしている人がいる形跡はない。お供えの木の根がぶちまけられていたり、江戸時代の古銭が無くなっていたり、勝手な解釈のメモが残されていたりということがあったくらいだ。

隣村の山頂に祭られたクロスミ様には、山のふもと近くに簡素な祭壇をしつらえた遥拝所があって、お年寄りなどはそこでお参りしていたと聞く。僕はヒラトモ様に、自宅にお参りの場所をつくりたい旨のお願いをして、お供えの木の根を一つお借りすることにした。古墳の跡だったらしいホコラの周辺には、大小の石が散乱している。ホコラの屋根に使われている自然石と見た目の似ている石の欠片をひろって、それも神様の依り代としてお借りすることにした。

その二つを自宅のガレージに保管しているのだが、怠け癖のある僕は次のステップに進めずに、そのままになっていた。そのくせに、時たま思い出しては、まちがって家族が捨ててしまいはしないかと心配したりしていた。

それが最近になって、裏庭の片づけをした妻が、ヒラトモ様の祭壇を作ったという。意外に思ってみると、箱庭のような植木の奥に石と木の根が祭られている。ただ、あそこだと雨に濡れて木の根が腐ると小言を言ってしまった。せっかくの好意なのに妻を怒らせてしまったかもしれない。

何日かしてみると、こんどはガレージの屋根の下に小さな棚の再利用で祭壇がつくられて、ヒラトモ様の石と木の根が祭られている。日本酒の小瓶まで供えられていた。

博多の旧家で育った妻は、神様のお祭りやお参りにかけては、僕などよりもはるかに本格的で身についている。僕の「計画」をしっかり覚えていたのだろう。山頂のヒラトモ様にお参りしたことはないものの、絵本を描いてもらったから、ヒラトモ様の成り立ちやお供えの木の根の意味もよくわかっていて、この不遇な神様への同情もあったのだろう。

僕は妻に頭をさげるしかなかった。

 

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