大井川通信

大井川あたりの事ども

『サブカルの想像力は資本主義を超えるか』 大澤真幸 2018

読書会の課題本。後書きを見ると、著者は講義で話をしただけで、事実誤認の修正や内容の補足を含めた、本にするすべての作業を他者にゆだねていることがわかる。だから、当然ながら、とても「雑な」印象の本だ。そして、雑であることに関して、著者はおそらく確信犯であるような気がする。

大学の若い学生に対して、社会思想や社会学や哲学の問題設定への基本的な知識と関心をもってもらうのが目的だから、各部の結論部分は、それらの手慣れた解説に終始しており、新しい問題に挑戦しようという気概はない。サブカルの諸作品は、学問の解説へとつなげるために利用しているにすぎない。作品そのものの本質を了解することは、はじめから度外視しているのだ。

おそらくサブカルの愛好者からすれば、ほとんどお話にならない読みだろうと思う。たとえば、「おそ松さん」はニートで働いていないのが素晴らしく、資本主義に対抗しており、それを後ろめたく思っているところが、もう一歩のところだ、などという話が、学問的な議論をまぶしながら、何十ページもかけて語られているのを見ると、僕などでもうんざりしてしまう。慇懃無礼、というか、すごく丁寧な牽強付会、というか。しかし、こんな突っ込みどころが、ほとんど無数にあるのだ。

大澤さんの社会批評は、昔からそんな、どこかゆるいところがあったような気がする。彼は徹底して学問の殿堂の人なのだろう。その専門領域が本気の仕事であって、それ以外は、文字通り余技なのだと思う。余技では、極端に啓蒙的であり、対象は道具的に、雑に扱われる。すぐれた学者でも、もっと血の通った文章を書く人はいる。その意味で、大澤さんは学者であっても、批評家ではないのだろう。

なんだか、とても雑な感想を書いてしまった。僕の蔵書には、難解で手をつけられなかった大澤さんの論文集が何冊もある。その恨みをぶつけてしまったのだろうか。