これは、丸三年ばかりの浅めの積読本。著者の岡本亮輔(1979-)は若手の宗教学者であり、観光学の研究もしていることもあって、その視野は広く新しい。
この本を読んで、初めて新たに了解できたということが確実にあって、それで新書のボリュームで入門書としての書きぶりなのだからありがたい。宗教について、このところ自己流に突き詰めて考えすぎていた僕には、よい解毒剤になってくれたと思う。
著者の議論は、「宗教」の現在にピタリと焦点を定めている。世界的に近代化によって宗教離れが加速しその世俗化が進行している。とりわけ日本では、伝統的な宗教に替わって戦後勢力を伸ばし続けた新宗教が、急速に影響力を失っているという現状がある。その一方で、メディアやSNSを通じて、宗教的な言説はいっそう盛んに流通している。これは、従来からの(欧米流の)「信仰」中心の宗教理解では把握することのできない事態だ。
著者の図式は明解だ。宗教を「信仰」「実践」「所属」という要素にわけて考える。後者の二要素を「信仰」に従属させるのではなく、同様の重みをもった独立した要素とみることで、特に日本における多様な宗教現象を把握していこうというスタンスだ。これは十分成功していると思う。
たとえば、日本の仏教の現状(しばしば「葬式仏教」と批判される)を、信仰無き実践としてとらえる。また、地域意識と密着した神道の在り方は、信仰無き所属という観点からとらえられる。
欧米発のニューエイジ文化が、1970年代末の日本で「精神世界」としてブームとなり、それが00年代になると「スピリチュアル文化」として広まった経緯の解説には、自分の身近な同時代のことだけになるほどと啓発された。
精神世界は書店発信の文化であり、ある種の知識人が主導したものだった。一方、スピリチュアル文化は、その内容に大差がないといっても、タレントなど雑多な人たちが様々なメディアでビジュアル中心に発信している。両者に共通するのは、所属無き信仰や実践という側面だ。所属を否定するために既成宗教とは対立し、自分たちは宗教ではないという主張をすることが多い。
さらにスピリチュアル文化では、消費者優位の宗教マーケットでの需要(心身の癒しや気分転換)が主役となる。信仰や実践が、世俗社会の価値観や世界観にふさわしいものにソフトに再構築されて消費されるのだ。
ここまでが現代までの動きであるが、一方で、学問等による想像的な信仰の構築(他者の信仰を想像的に語る作法)という観点から、エリアーデの宗教シンボル論の紹介がされているのが興味深かった。現代人が自ら信じてもいない信仰(たとえば古代人の信仰)を捏造し、それを社会的に共有して消費するという動向として、半ば批判的に取り上げられている。
スピリチュアルの時代の、どこかポップな宗教入門書だ。