大井川通信

大井川あたりの事ども

町家というもの

港町津屋崎の中心に構える豊村酒造の建物について、文化財修復の専門家の話を聞く。酒造全体では、明治から大正にかけて蔵などの諸施設が建設され、建坪千坪に及ぶ建物群を形成しており、歴史的な価値をもっているそうだ。しかし、やはり目を引くのは、店舗棟と呼ばれる町家形式の建物である。専門家によると、源流は京都の町家で、博多の町家の形式も踏襲されているらしい。

僕は、詳しいことはわからないながら、この町家というものが以前から気になっていた。寺院建築のように正面切って好きだと言ってきたわけでも、専門書を買い込んだりしたわけでもない。ただ、観光地で古い町並みを歩くと、町家を見学する機会が多くあって、見るたびに好ましく思えてきた。

まず正面道路から土間に足を踏み入れると、薄暗いトンネルのような土間は想像以上に奥まで続いていて、その先には中庭が明るく見える。見上げると、屋根の裏の小屋組みも闇に沈んでいて、思いがけない武骨な梁(横材)が何本も通されている。豊村酒造では、そこには塩に浸けて持ちをよくした黒光りする太い曲松が縦横に組み合わされていて壮観だ。

土間の脇には、帳場や座敷など三室が並んでいる。豊村の場合、三室が二列に並んでいて、この二列三室型というのも町家の基本形だそうだ。座敷を見上げると、二階が吹き抜けになっていて、ぐるりと高欄(手すり)がめぐっている。よく見ると、高欄は持送りという部材によって支えられ、そこには彫刻がほどこされて漆が塗られている。いかにも豪華な仕様だが、博多の町家に類似例があるそうだ。

下から見上げる二階はいかにも天井が低いが、これは厨子二階(つしにかい、中二階)と呼ばれる江戸時代以来の京都町家の伝統だという。天井には一カ所、吹き抜けで屋根を突き抜けた明り取りの窓が見える。高欄の下には、山崎朝雲作という見事な社のような神棚がしつらえてある。

町家の魅力とはなんだろう。やはり、そこに様々な中間(境界)領域が折り重なるように存在しているということだろう。ウナギの寝床のような建物を貫く土間は、外と内、光と闇とを媒介している。道路は土間へとつながり、土間は室内へとつながり、室内の空間は階上へ、さらに吹き抜けを通じて天へと続いている。

人間の暮らしの動線に従って、前後、左右、そして上下へと変化に富んで連なる空間は光と闇にたっぷりと浸されて、実に魅力的だ。あらためてそう思う。