大井川通信

大井川あたりの事ども

『空白の殺意』 中町信 1980(2006改稿 原題『高校野球殺人事件』)

中町信(1935-2009)の推理長編を読むのは、三作目だ。ミステリーファンでない僕が彼の作品にひかれるのは、それが世界の中に仕掛けられた謎というより、世界そのものの成り立ちの謎を示唆しているように思われるからだ。

この意味でいうと、前二作よりもずっと大人しく、普通に読める推理作品に仕上がっていて、ちょっと物足りない。とはいえ、作者らしさは、地味ながら仕掛けられている。(以下ネタバレあり)

北関東で甲子園出場をねらうライバル校同士の関係が事件の背景だ。前年の夏大会初出場のA校の女子生徒が殺されて、これに関連すると思われる同校の女教師の自殺と、野球部監督の殺人が相次いで起きる。同校の出場は、ライバルの強豪B校の野球部員が起こした暴行事件による出場辞退の影響が大きく、死んだ三人はこの暴行事件の告発に関わっていた。

初め、この告発の不正にからんだもみ消しや怨恨の線が疑われたが、A校の女子生徒の死亡に、今年の春の選抜大会の出場を勝ち取った古豪C校の後援会長が関係していたことが判明すると、むしろ後援会長による不祥事隠蔽の疑いが濃くなる。しかし後援会長も殺されるに及んで、女教師と野球部監督との不倫関係を疑った夫による犯行が浮上してくる。

真相は、女教師の親友であり「自殺」の第一発見者であった女が、息子が古豪C校の野球部のエースであるために、後援会長による不祥事による出場辞退を恐れて仕組んだ犯罪ということになる。甲子園出場にからんだ複雑な人間関係の中で、警察の捜査方針も二転三転して、飽きずに読み通すことができたが、実際のところ、途中から真犯人は十分予想のつくものだった。

問題は、冒頭に置かれた真犯人が女教師の「自殺」を発見するシーンである。彼女が親友の自殺を発見して驚くシーンがあるからこそ、彼女による親友の殺人や同夜に遠方で行われた野球部監督の殺人が、論理的に不可能に思えたのだ。あの記述が間違いやウソでしたというのでは、推理小説は成り立たない。

だから「叙述」自体は正しいのだが、その切り取り方や配置の仕方で、読者を迷わせ真相から遠ざけるという手法を取る。あの冒頭のシーンは、自殺に見せかけた殺人の二日前に、女教師の「自殺未遂」を発見した場面を切り取った叙述だったのだ。そこから、叙述が二日後に飛ぶから、あたかも真犯人が、無垢の心で「自殺」を発見したかに読めてしまうわけである。このトリックこそ作者の真骨頂だ。

これはルール違反なのだろうか。しかし、どんな小説も、世界の全てをもれなく連続して記述しているわけではない。あくまで断片の切り貼りであり、断片をつなぐ作業は、読者の想像力にゆだねている。だから、これはあくまでルール内の手法なのだと思う。

僕たちの生活や人生も、その都度特定の視点から叙述された断片の集積であり、それを誤解や正解を含む様々なバイアスをつけて読み取っているというのが実態だろう。あいまいにつながる継ぎ目にかくされた「空白」にこそ世界の真相があることを、中町信の作品は教えてくれる。