大井川通信

大井川あたりの事ども

『金沢城のヒキガエル』 奥野良之助 1995

昔、僕にもヒキガエルは、なじみのある生き物だった。実家の脇には200坪くらいの雑木林の空き地があって、「原っぱ」と呼んでいた。そこには当然のようにヒキガエルが住んでいて、夜に家の玄関に飛び込んできて、家族で大騒ぎしたことを覚えている。街では、車にひかれた死骸をみることもあった。

そんなわけで、この本は以前から気になっていたのだが、その直観は正しかった。とんでもなく面白い本だ。著者は大学卒業後、水族館で飼育員をしながら魚の研究をする。その後学生運動が盛んな当時の大学に赴任し、1973年から9年間、大学の植物園のある金沢城跡で、毎夜ヒキガエルの調査を行った。数千匹のヒキガエル一匹一匹に個体番号をつけ、身長を計測し、発見日時や場所を記録する。そうすると、同じカエルに何度も出会うことになるから、彼等の生活パターンや成長の具合、寿命なども明らかにできるのだ。

ただし、この本の本当の面白さは、著者がカエルの調査をしながら、大学内の人間関係や生物学界の在り方にも同様の観察を行い、カエルと対比して、人間の側に辛辣な批評を加えているところにある。ヒキガエルは、おどろくほど無欲で、競争のない社会を生きているのだ。一方、業績競争に明け暮れる大学には、実験と研究はあっても、「思索」が消えつつあると著者は警鐘を鳴らす。また、現在の生物学が、競争という現代社会の価値観を生物の世界に投影しがちであると指摘する。

僕にとっては、子どもの頃の親しい隣人であったヒキガエルの生態を、ようやく知ることができて、うれしかった。どこかの池に産みつけられた卵からオタマジャクシになり、わずか7,8ミリのカエルになってから上陸し、それからは陸上の生活となる。ここから生き延びる個体はごく少数だが、二年も経てば10センチを超えて、立派な大人のヒキガエルとなるのだ。

著者の推計では、年間を通して、雨の夜にエサ探しの活動するのはわずか11日ばかり、一日5時間程度の労働時間らしい。冬眠ばかりでなく、夏眠まであるそうだ。道理でめったに出会わなかったはずだ。定住の傾向があり、一晩の移動距離も20メートル以内というから、狭い空き地と周辺の家の庭とを合わせた空間で十分に暮らしていけたのだろう。

ただし繁殖は池でないとできない。近くには公園もないので、おそらく近所のどこかの家の庭の小さな池を使っていたのだろうが、それでも多少遠くまで遠征する必要があったのかもしれない。春先の一年に一度のことだが、そういうときに路上で事故の危険があったのだろう。

ヒキガエルの寿命は最長の個体で11年だったという。実は数年前、原っぱが開発で無くなってしまったあと、狭い実家の庭で暮らすヒキガエルの姿を見かけている。彼(彼女?)が天寿をまっとうすることを祈りたい。