大井川通信

大井川あたりの事ども

曜日の当てを失う

何かちょっとした違和感がある。職場の壁に掲げられた週間の予定表を見ても、今日がどの曜日に当たるのか、すぐに思い当たらない。あわてて思いめぐらすと、知識としては、今日が何曜日でなければならないのか考えることはできる。しかし、その知識が、実感と結びつかないのだ。

週休二日制で働いている勤め人には、誰でも漠然とした「曜日の当て」のようなものをしっかり持って毎日を過ごしているだろう。月曜な週始まりの憂鬱と緊張感。まだまだ二日目の火曜。波にのってきた週中の水曜。ようやく木曜を迎え、まぎれもない喜びの週末金曜へ。この「曜日の当て」が消えているのだ。

まちがいない、記憶が少し不安定になっている。あわてて自分の机に戻って、この異変のゆくえを見守ることにする。数少ない経験を踏まえれば、もしこの嵐が大きくなるなら、曜日や日にちのあてはおろか、時間や自分がどこにいるのかといった生活の地盤や文脈までもがぐらぐらと不安定になっていくだろう。

そうなればよりいっそうの不安に取りつかれ、生理的な気分までが船酔いみたいに悪くなってしまう。さらに、文脈の記憶から切り離されて「短期記憶」だけになってしまうと(一過性全健忘の発作だ)、不安は最高潮に達するのだろうが、その記憶は発作後には残らない。

さいわいなことに見えない嵐は去った。記憶の揺れは大きくなることなく収まったようだ。10年以上前に大きな発作を起こしてから、ちょっとした兆候にも敏感になっている。発作の入り口のような体験は、久しぶり、おそらく数年ぶりだろう。意識しなくても年末で疲れがたまっているのかもしれない。用心しようと考える。