大井川通信

大井川あたりの事ども

デパートの時代

以前に住宅について書いたときに、子どものとき当たり前だった社宅と公団住宅が主役の座をおりて、今ではマンションばかりが目立つようになったことに気づいた。この激動の時代に半世紀以上生きていると、様々な分野で大きな主役交代に立ち会うことになる。

僕たちの子どもの頃に買い物といえば、身近では地元の商店街であり、休日によそ行きで出かけるのが主要駅前のデパートだった。

バブル崩壊のあとくらいから、商店街の没落が取りざたされるようになったが、少し遅れて繁華街の王様ともいうべきデパートの不調も聞かれるようになった。郊外型の商業施設(ショッピングモール)の急成長がその背景にあるのだから、駅前の商店街とデパートの衰微が同時的なのは当然だったのだろう。

それで僕の人生後半における消費の場の主役は、ショッピングモールとネットショッピングとなった。子どもの頃には想像もできなかった変化だ。

ところで、かつての自分のデパート体験は、実家の隣町の立川が中心だった。あの頃の繁華街の格はデパートの名前と数ではかられるようなところがあった。ただ近隣の吉祥寺や八王子や府中ではデパートと商店街が混然一体となっていた気がするが、立川は北口と南口ですみわけされていたような印象がある。

北口を降りてすぐ左側に専門店のそろった「第一デパート」(1966-2012)。道路をはさんで規模の大きな「高島屋」(1961年に立川銀座デパートとして出発し1970に改称、1995年に移転、2023年撤退)。昔の写真を見ると屋上にミニ観覧車やコースターが設置されており、僕のデパート屋上遊園地の記憶はここがメインだったと思う。

駅前ロータリーから北東に伸びる大通り沿いに「伊勢丹」(1956年に本格的に百貨店として営業開始。1970年に道の向かい側に移転。2001年に現在地に再移転)と専門店の「中武デパート」(1962~)。その先の交差点を東に進むと「ダイエー」(1970~2014:途中「トポス」の時期あり)があって、その先には父親の勤務するリーカーミシンの立川工場があった。

こうしてみると僕の記憶に懐かしい1970年代初めの頃のデパートのラインナップも、およそ10年の間に(つまり60年代の高度成長期に)形成されたごく新しいものにすぎなかったことがわかる。やがて立川駅の駅ビル化(1982年「ウィル」のちに「ルミネ」)を経て、2000年ごろの再開発で駅前は激変してペデストリアンデッキとなった。

現在、立川駅でデパートと呼べる老舗は「伊勢丹」だけだ。すでに八王子駅前からはデパートがすべて撤退したと聞いている。しかしそれを嘆くのは、高度成長期の成果を原風景とする世代特有のノスタルジーなのだろう。