大井川通信

大井川あたりの事ども

『夜と耳』Ort-d.d(Theatre Ort)2012

安吾の短編集を読んで、6年前に観た小劇場の芝居を思い出した。安吾の『夜長姫と耳男』を原作とした劇だったからだ。

中年過ぎてから、とあるワークショップに参加したのをきっかけに小劇場の舞台を観出した僕は、なんとか舞台を観る眼を養いたいと、観劇リストをつくったり、つとめて感想をメモしたりしていた。その頃から自分の観た芝居に点数をつけてきたが、今でも最高点はこの芝居である。

かなりおくれて、しかも地方で観劇するようになった僕にとって、決定的な芝居体験は、オルト・ディーディー(現在はシアターオルト)のこの舞台だったような気がする。

残念ながらメモを残していないので、断片的な記憶をたどってみる。

地方都市のさびれた商店街にある銀行支店を改造した劇場。その中の小さな空間の闇を背景として芝居が始まる。まず男が椅子に腰かけて読書を始める。安吾の『夜長姫と耳男』だ。男には妻がいるが、読み進めるにつれ、物語の世界が出現して、二人が耳男と夜長姫を演じ始める。原作そのままの長大なセリフが俳優の口から放射されるが、俳優の身体の激しい動きと一体化して違和感がない。暑いけれども暑苦しくない、冷たい熱量、といった言葉が思い浮かんだのを覚えている。

読むという行為の秘儀性、演じることの不思議、言葉と肉体との融合など、小さな舞台の上に様々なテーマが折り重なり、一分の隙もなく空間化しているような素晴らしい芝居だった。

その後シアターオルトと主宰の倉迫康史さんは、僕の故郷の隣町立川に拠点を移して活動の幅を広げている。機会があれば、あの濃密な舞台をまた体験してみたい。