大井川通信

大井川あたりの事ども

『肉食獣』(柿喰う客)を観る

下北沢のザ・スズナリで劇団「柿喰う客」の芝居を観た。僕にとって柿喰う客は、純粋に芝居を楽しめる数少ない劇団の一つだ。実際に公演を観たのは、5本くらいだと思うが、どれもはずれがなかった。これも代表中屋敷法仁の芝居作りのセンスと力量によるものだろう。

日本近代や古典に材をとって、そこに縦横無尽な想像力を働かせてハチャメチャなフィクション(しかし時代批判の芯がある)を創り出す。シンプルな舞台の上では、役者たちのスピーディーで独特な身体の動きと言葉の連なりによって、時間と空間が入り乱れた魅力的なシーンが展開する。笑いや感傷に頼ることのない一種の様式美をもった舞台は簡潔で飽きさせることがない。

それで言うと、今回の芝居はやや物足りなさが残った。

肉食を嫌う和歌の大家の6人の弟子たちの物語は、福沢諭吉の肉食論の朗読を交えて文明論としての射程を持つが展開不足の感がある。6人の弟子の人間関係のみに終始する芝居も、いつものハチャメチャ感に乏しいし、場面転換の魅力が不足していたように思う。期待よりかなり地味で、そのためかストーリーもあまり記憶に残らなかった。現代の人権意識からは疑問に感じるセリフもあって、挑発としてあえて使っているのかは気になった。

ただ役者さんたちのアフタートークによると、劇団の同期6人による初めての芝居ということで、演出家も、舞台上での二人ペアの対話のシーンを(柿喰う客では珍しいとのこと)均等に組み合わせて配置するように台本を作っていったということ。同期の仲間意識を舞台上で表現しようとする劇団としての要請が背後にあると考えると、芝居への共感が深まるような気がする。

舞台上で二人が対話するとき、第三者がそこに割り込んでくるというシーンで、実在の第三者が会話に参加してくるというパターンと、二人の話題になった人物の顔見世として本体ではなくイメージが通り過ぎるパターンの二つがあるのが面白かった。対話が主体の劇という実験において編み出した方法なのかもしれない。

今回のチケットを取るのは難しく、隣には研修旅行の高校生たちの小グループが席を占めていた。この劇団がこうした正攻法の小劇場の芝居を作り続けて評価を得ているというのはよいことだと思う。

初めて入ったザ・スズナリのあばら家(木造長屋あるいは市場)のような劇場の雰囲気も良かった。

 

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