大井川通信

大井川あたりの事ども

古書『深尾正治の手記』の諸短編を読む

椎名麟三は、僕に新鮮な読書体験を与えてくれる作家だ。古本屋で投げ売りされているような日本文学全集の一巻を初めて読み切ったのは椎名だったし、戦後初期のシミだらけの古本で小説を読んだのも、この本が初めてだった。新刊が流通していないのが原因だが。

表題作を読むのが目的だったが、せっかくなので残りの5つの短編にも目を通してみた。掘り出し物のような作品と出会いたかったが、残念ながら彼の代表作からはだいぶ見劣りがする。ただ、この作品集に何度か登場するちょっと不思議なキャラクターが気になった。

いつもニコニコ笑っていて、周囲にさかわらず現状追随的である。他者にやさしいようでいて、突如エキセントリックなふるまいをする。

『深尾正治の手記』の木賃宿を経営する老人は、旅館の人間関係が破綻していくなかで、突然重次郎を刺し殺し出奔する。『不安』の柴崎は、隣人のたえ子にプレゼントをするなど好意を示す一方、脈絡なくアパートの自室で自殺を図る。『喪失のなかに』の濱田は、空気のような存在の小役人であるけれども、喫茶店のマダムへの負い目と執着の果てに命を落とす。

これらのキャラクターの造形は、作者自身の共感がないためか、とってつけたようで成功しているとはいえない。ただ、作者にとって脅威であるような、現状を薄笑いで受け入れている庶民の実像を描こうとしたことは間違いないだろう。ただ彼ら庶民に強いられた虚無は(著者自身がモデルとなった共産党員のようには)そうかんたんに尻尾を出すとは思えないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

そうだ田宮虎彦を読もう!

ネット記事で、半世紀も前の『群像』(1974年1月号)に「批評家33氏による戦後文学10選」というアンケート特集があったのを知った。敗戦後30年弱。戦後文学をめぐる論争がまだ熱を帯びていた時代だ。

残念ながらネットでは全員分ではなく、その三分の二を見ることができるだけだ。三島や大江や安部公房といったビッグネームにまじって、田宮虎彦(1911-1988)の名前を見つけて少し意外な感じがした。ちなみに桶谷秀昭が『霧の中』を、川島至が『絵本』を選んでいる。

昔読んだ少年少女向けの文学全集の解説で、吉田精一が田宮を激賞していたのを思い出すが、現代作家でありながら古典中心の岩波文庫に収録されていることを世間の評価の現れとしていたと思う。その岩波文庫も含め、現在田宮の作品を読むことのできる文庫は新刊書店にはない。

死後全集も編まれなかったし、最近読んだ新しい日本文学の概説(『日本近代小説史』    安藤宏  2020)にも田宮虎彦の名前はなかった。どこかで彼の評価が下がるような何かがあったのだろうか。しかし、ある時期までは、戦後文学の一角を担う作家とみなされていたのだ。

久しぶりに田宮虎彦の短編に目を通してみた。『霧の中』と『銀(しろがね)心中』。どちらも印象的なエピソードと情景を巧みにつないで、短い作品の中に、時代に翻弄される人生を描き切っている。緊密で無駄のない文体は美しく、純度の高い感傷を誘う。

やはり良かったので、ネットで全六巻の作品集(1956~1957)を手に入れた。全巻に著者サインが入っているが、広告に「肉筆サイン入」と書いてあるから、出版された全てに署名するのはかなりの手間だったはずだ。それだけ思い入れのある作品集だったのだろう。

各巻が手ごろなサイズと分量で、ゆったりと活字が組まれた紙面で文章を堪能できる。じっくり楽しめそうだ。

 

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『坑夫』 夏目漱石 1908

この小説は、若いころに読んだ柄谷行人漱石論でも評価されていたし、自分の炭坑ブームもあったから、もっと早く読んでいてもよかった気がする。そうはならなかった理由が、今回読み通してよくわかった。

さほど長くはない小説だが、とにかく読み通すのに骨が折れるのだ。独特の書き方が特徴的でそれは面白いのだが、物語が遅々として進まない。だからストーリーに興味をもってその展開を追いかけるというわけにはいかない。

主人公が19歳の時に東京の実家を出奔し、たまたま出会ったポン引きに周旋された鉱山で短期間働いたという顛末が回想談として語られる。しかし小説になっているのは、ポン引きに連れられて同行者と鉱山までやってくるくだりと、鉱山での初日の様子及び二日目に坑内を見学で歩いたくだりとの、わずか数日間の出来事に限られる。出奔の経緯とか鉱山生活での見聞の深まりとかの題材はカットされているのだ。

石炭と金属との違いがあるとはいえ、炭鉱に興味があって実際に坑内見学をした自分には、坑内見学の事細かな記述はある程度関心をもって読めたけれども、一般の読者はどうだろうか。

最近改版された岩波文庫で読んだのだが、そこでの解説と手持ちの1980年代の新潮文庫での解説とのトーンの違いも考えさせられた。後者では、もっぱら漱石の実験的な書きぶりの新しさについて解説している。

人間は性格などというまとまったもので動いているんじゃない、生涯片付かない不安の中を歩いていんだ、と明言された人間観にもとづく緻密な記述は一貫していて、ちょっとくどいけれども斬新だ。

しかし、岩波文庫の解説では、主人公の炭鉱労働や炭鉱夫への差別意識が正面から取り上げられる。世間からはじき出された若い主人公にも、当時の社会の価値観はいやらしいほどしみついている。「人権意識」を備えた現代の読者として、僕にもその点は気になってしようがないところだ。

地底で偶然、話の通じる先輩と出会い、また実際に鉱山で働くことを受け入れたあとに、主人公が社会の差別意識から脱して、その虚構の序列の正体に気づく印象的なシーンが書き込まれている。こんなところに漱石の文学者としての非凡さが現れているのは間違いないし、岩波文庫の解説でも最大限の評価が与えられている。

ただ、最後の部分はいかにも付け足しみたいで、これを中心テーマとするには無理がある。小説の冒頭から描き続けられる主人公の心理の揺れの中に収まるような、あくまで内面の出来事にすぎない感じもする。

坑夫たちとの本当の出会いは、このあと5か月間続く日常の労働と暮らしの中にあったはずだが、それはわずか一行でスルーされてしまうのだ。

 

 

 

 

『深尾正治の手記』 椎名麟三 1948

敗戦後わずか二年半で出版された古い作品集で、この中編小説を読む。どのページにもシミが広がっているが、紙質が悪くとも製本だけはしっかりしていて、読むことに問題なかった。

僕は本に関しては比較的潔癖で、少しでも汚れた古本を買ったりすることはない。ちょっとした偶然と勢いで手に入れた本なのだが、いざ読むと、紙面から敗戦後の時代が迫ってくるようで不思議な読書体験だった。ただそのために内容が素直に頭に入ってこなかったところがあるかもしれない。

この小説は岡庭昇が激賞していた(文芸誌のアンケートで戦後文学10選にあげていた)ので知っていたのだが、今まで読んだ椎名麟三の作品と比較しても、それほどいいとは思えなかった。

木賃宿に出入りする登場人物たちは、かなり突き放されデフォルメされた造形で、獄死したという主人公を含めて大半が命を落とすという結末も、さほど悲劇的な感じはしない。主人公の思想、感情には興味深い点があるのだが、肺病に苦しむ若い女性に対する、気まぐれで残酷な振る舞い(主人公の内面の空虚さの反映だとしても)は、とうてい受け入れがたかった。

岡庭昇の批評では、ここに大衆の倒錯した「夢」が描かれているということが評価ポイントなのだが、主人公の故郷の回想シーン等がそこまできちっと機能しているようには思えない。

この作品集の後書きでは、椎名は「現在流行の四つの世界観を、僕の許し得ない一点から抗議した」と書いているが、この政治的・思想的狙いが小説の図式性、観念性をもたらしたと考えた方がしっくりとくる。

逃亡する共産党員の深尾と深尾を告発する杉本、予言者風の元警官重太郎、無頼漢の池田と発明を夢見る小山、そして楽天家の宿屋の主人。敗戦直後の四つの世界観が彼らにどう当てはまるのか、今となっては想像が難しい。もちろん、細部においては椎名らしさが顔をのぞかせている。

「僕を、人々においてだけでなく孤独においてさえ死なし得るもの、それを僕は強く求めるのだ」という、同志に支えられる思想への強い不信感。自分を捕まえに来る特高らしき姿を見つけて「まるで凱歌のような歓喜が、鋭い戦慄となって僕の背筋を貫いた」という倒錯と自虐の感情。

 

 

漱石の句を読む

読書会で岩波文庫の『漱石俳句集』を読んだ。

順番に一つ作品を選んで感想をいい、参加者全員からコメントをもらうというやり方(これを三巡する)の会だから、自分が一ネタをしゃべれるだけではなく、各人それぞれの読み方ができるふくらみをもっていることが大切だ。

漱石の句は簡単であっさりしているものが多く、上の観点からの選定に苦労した。

「枯野原汽車に化けたる狸あり」

先ず、狸が「汽車」に化けるという、今からみると突飛な発想の句を選ぶ。明治の代に現れた文明の利器に対する人々の驚きや、鉄道が町から離れた枯野に敷設された事情などの時代背景に議論が広がったので、まずは成功。

「この下に稲妻起る宵あらん」

吾輩は猫である』のモデルの猫の墓標の裏に書いたという句。漱石は小説の中では邪険に扱っているようで実際には命日には好物をお供えしたというエピソードなどを披露。稲妻は生命エネルギーを供給するもので猫の復活を願うオカルト的発想ではないかという指摘もあって、おなじくオカルト風味の奥泉光著『「吾輩は猫である」殺人事件』を紹介することもできた。

「秋の江に打ち込む杭の響きかな」

この句は近代名句集みたいなもので読んで、暗記していた。てっきり虚子あたりの句だと誤解していたほどで、漱石離れした象徴性をもつ大きな構えの句だ。秋の入り江の広々とした眺めから始まって、力をこめた打撃の一点に意識は集中する。その一点から空気の振動が景色の全体をみたしていく、というダイナミズム。あきのえにうちこむ・・とア行が連なる語の響きのよさもそれに重なる。

「草山や南をけづり麦畑」

これは説明的で平凡なので選ばなかったが、大井川歩行者としては語りたかった句だ。当時は、燃料資源として木々が伐採されてしまった山も多く、茅葺屋根や肥料のために草をとる山も必要だったこと。明治には農業の拡大のために里山を削り麦畑の開墾がされたのだろうが、戦後の日本ではそれがミカン畑となり、今ではソーラー発電所となっているというあたりの事情も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『民主主義とは何か』 宇野重規 2020

読書会の課題図書。民主主義という概念の歴史をわかりやすく丁寧に論じていて、一読勉強になるという感じ。しかし辛辣にいうと、一週間後に何か残っているかというと、何も残っていないという読書体験だった。

それはなぜか。この本で提出された問いと答えや、様々な歴史上の、または思想家による民主主義像は、あらためて学問の力を借りるまでもなく、僕たちのあたりまえな経験の中にすでに織り込み済みのものだからだ。

トクヴィルのいう民主主義は、たんなる政治体制だけではなく、平等化の趨勢と人々の思考法や暮らし方を含めるものだという解説があるが、実際のところ、僕たちの社会は、すみずみまで民主主義ないしはそれを目指す考え方によって塗り固められている。

僕の人生も生まれたときからすっぽりと民主主義にくるまれていて、それ以外の価値観もそれ以外の社会制度も知らない(想像できない)というのが本当のところだ。僕らの日々の思考や体験が、あるいはこの社会のすべての変容が、あらゆるタイプの民主主義の実験だといっていい。

最後に著者は、民主主義を信じることが大切だ、という。あたかも様々な思想家の所説の検討のあとに、その概念をあらためて外側から信じたり信じなかったりすることができるかのように。

おそらくこの発想は逆立ちしている。僕たちが民主主義を信じるのは、民主的な価値観と民主的な体制の中で生を受けて、そこで何とかじたばたやりくりしてきた経験があるからだ。

これだけ中途半端で不完全な人間というものが寄り集まって、そんなに優れた政治体制などできるわけがない。それでも、不完全な人間同士が何とか折り合って生きていくためには、お互いをできるだけ大切にしあうという原則によるほかない、という明確な気づきがその根底にあるはずだ。

ただ、どのように、そしてどのくらい大切にしあうか、という観点のちがいからこの原則の実際の現れは多様になる。民主主義をめぐっては、その豊穣と混沌とあいまいさの集積から出発するしかないだろうと思う。

 

 

 

盆明けからは逆襲だ(by 絶望退職おじさん)

お盆が終わったら、とたんに涼しくなった。例年このころは秋の気配を感じるようになる時期だが、今年はちょっと極端だ。

このところの怠惰の言い訳として、猛暑やそれによる夏バテのせいにしたところがある。この過ごしやすさを反転攻勢のきっかけにしよう。

前年度は、定年前ということもあって、いろいろケリをつけたいと思い、課題をつめこんだ。特に後半は、仕事のまとめと4つの資格試験の勉強が気持ちの張りになった。

結果的に、再任用的な慣れた仕事で再就職したが、これは「定年本」で本当は止めたほういいと言われていたことだ。仕事内容も責任も小さくなって刺激がなくつまらないということがその理由だったが、僕の今の仕事にもその弊害がある。

ただし、体力・気力の衰えも感じざるをえないから、精神的・体力的に負担の少ない仕事が実際にはありがたくもある。しかしそれは、自分の体力・知力のスケールダウンを追認することにつながってしまう。仕事のスケールダウンで空いた余力を別の活動につぎ込むという当初の狙い通りにいかなくなってしまう。

このところ、対外的な活動は、依然と同じペース(あるいはそれ以上)で続けている。思想や詩歌の読書会や個人勉強会も継続し、講演や舞台にも足を運んでいる。地域のサークルやイベントにも顔を出しているが、欠けているのは、本来のフィールドである大井川歩きの活動だろう。

まったくの自主活動だから、気力・体力の充実がないと、どうしても後回しにしてしまいがちだ。しかし、非力で何事も中途半端な自分には、地元を歩きながら考えるという活動の軸が不可欠なのは、ずいぶん以前に発見して納得したところだ。

もちろん、フィールドに出ることが大切だが、今までに収集した情報・資料を分析し考察する宿題もだいぶたまっている。

盆明けからは逆襲だ。

 

 

 

 

こんな夢をみた(管理職試験)

職場の管理職の試験を受けにいく。駅は、東京の武蔵境のようだが、実際の姿とはかなり違う。僕は「受験票」を忘れていて、それを気にしている。たぶん口頭で申告すれば大丈夫だろう。(自分は退職しているから、この試験にどんな意味があるのだろう、と若干不審に思っていた)

電車は同じ試験を受ける人であふれている。知人といつもみたいな冗談のやりとりをするが浮いてしまう。

電車を降りてぞろぞろと歩く人たちについていくが、駅前の大きなビルには意外なことに受験会場らしきものはない。あわてて駅に戻り、ホームを歩いてその突き当りを目指す。しかしそこにも、木造のレストランがあるだけで、試験会場は見当たらない。

試験開始にはまだ余裕があったのだが、こんなロスをしているうちに、刻刻時刻が迫ってくる。もう一度駅前のビルに急ぎ足で戻ると、表立った表示もなく小さな会場が設けられているのを発見した。案内が不十分な主催者へ不満を感じるものの、まずはほっとする。

無事試験を受けたのか、結果はどうだったかは覚えていない。そこにいく前に目覚めてしまったのだろう。

 

 

岡庭昇と吉本隆明(再掲)

岡庭昇(1942-2021)を読み直すときに、吉本隆明(1924-2012)の軌跡を参照軸にすることもできるだろう。狙いは、「戦後思想の巨人」に照らして、岡庭昇の仕事の大きさを示すこと。

〈詩と詩論〉

吉本隆明は詩人であり、詩についても多く論じている。前の世代の戦争詩を批判したり、70年代には、同時代の詩を「修辞的現在」として総括したりもした。岡庭昇も、詩人として出発し、2冊の詩集と2冊の詩論を編んでいる。「芸の論理」による60年代詩の批判は、吉本に先んじていた。

〈言語思想〉

吉本隆明の思想の根底には、『言語美』等で展開される、言葉や観念に対する原理的な把握があることは、よく知られている。一方、岡庭昇にも、「規範言語論」とも呼ぶべき、言葉と観念をめぐる本質的な理解があって、それが、詩論、文学論、メディア論等を貫いている。

〈世界文学〉

吉本は、古典や詩歌から、近現代また国内外の文学を、普遍的な相で論じることができた。岡庭昇もまた、漱石から戦後の諸作家、近現代の諸詩人だけでなく、例えばフォークナー論を一冊にまとめるなど外国文学についても、一貫した視座から論じている。

ポストモダン

吉本隆明は、オイルショック以後の社会の変化を受けて、批評のスタンスを変更した。『マスイメージ論』で大衆文化を論じ、先進国が「超資本主義」へ入った時代を独自の視点でとらえるようになる。同じころ、岡庭昇も狭義の文芸評論の枠組みから出て、文化批判、メディア批判へと重心を移していく。さらに『飽食の予言』では、食の問題等の現実批判へと舵を切った。

〈宗教論〉

吉本隆明は、キリスト教や仏教を広く論じて宗教論集成を出版しているが、90年代には、オウム真理教麻原彰晃を擁護する発言で物議をかもした。岡庭昇は、メディア批判や社会批判の一方、創価学会を擁護する立場を明らかにし、池田大作にオマージュを捧げる『戦後青春』を執筆している。

〈罵詈雑言〉

吉本隆明は、論敵に対して、レッテル貼りや決めつけなどして、激しい口調で罵倒することもいとわなかった。それに拍手喝采する向きもあったようだ。岡庭昇は、吉本の罵倒の被害者でもあったのだが、全方位に向けた「徹底粉砕」では負けていなかった。

〈アマチュアイズム〉

吉本隆明は、アカデミズムの外で独自の知を生み出して、在野の評論家一本で生活した稀な存在だった。一方、岡庭昇も、テレビ局職員という、多忙で花形の職業をこなしながら、余技でない独立の評論活動を貫いた点で比類がない。

〈メディア戦略〉

吉本隆明は、雑誌「試行」を主宰するとともに、数多くの講演に出向いて、読者と直接向き合った。岡庭昇も、雑誌「同時代批評」の編集・発行を行い、定期的な連続シンポジウムを開催した。また自著の出版を自から手がけた。

 

どうだろうか。岡庭昇と吉本隆明は、その思想の骨格において、その批評の構えにおいて、似ているといえないだろうか。

詩人として出発し、影響力のある詩論を書き、ジャンルを超えて文学に精通し、その根底に独自の原理論を持っていた者。80年前後の社会の構造転換に身を挺して臨み、批評の方法や対象を大きく変え、90年代には宗教の問題を、危険地帯に身を置いて論じた者。一貫して制度化された学問の庇護の外で、自らのメディアをも組織しながら、時に罵詈雑言を交えて、言葉を繰り出し続けた者。

吉本隆明が当てはまるのに異論はないとして、岡庭昇以外、この全条件を満たす批評家、思想家を僕は思い浮かべることはできない。

吉本隆明を読む人たちは、その片言隻句をもって彼を否定することはしない。彼の誤りや欠落さえも、吉本の全思想の中に位置づけて評価するだろう。だとしたら、岡庭昇の批評も、その言説の一部によってではなく、彼が戦後を生き抜いた思想の全体において受取る必要があると思う。

 

※僕がこのブログを書き始めたきっかけは、岡庭昇さんだった。当時不慣れのため細切れでアップした内容をまとめて、今月の勉強会のレジュメにした。岡庭単独の思想をどうこういうより、今は忘れられた「評論の時代」を振り返る材料になったような気がしている。

 

教祖の息子

ある新宗教の教祖の長男が、ネットの動画配信者となって教団の暴露をしている。3年ばかり前からのことだが、今回初めていくつかをまとめて見てみた。

組織の内情の暴露といっても、単なる関係者と、教祖の家族しかも後継者として嘱望された長男とでは重みが違う。なかなか聡明そうでユーモアがあり、あとくされなく離別の決断をした彼の言葉には嘘はなさそうだ。

教団にとっては大きなダメージだろうが、こうしたものが個人によっていとも簡単に発信できるのが、ネットの力だ。かつて社会変革の理想を抱いていた世代にとって、情報テクノロジーの進展が中央集権化の方向だけではなく、個々人の力量の拡大に結び付くというのが一つの理想像であったはずだ。しかし実際に実現すると、それはカオスでしかなかったが。

もともとサークル組織だったものを、無税を目的として宗教法人になったこと。長男は徹底した英才教育をうけて東大法学部の現役合格を目指したが、そのコースにのれなかったために後継者候補から外れ、教祖夫妻の離婚の遠因となったこと。父親(教祖)の学歴信仰の理由は、学歴以外に何も誇るものがない人間だったからだと一刀両断される。

長男が失墜すると、残りの兄弟姉妹で、後継者を目指す権力争いが勃発する。教義では輪廻転生の考え方が重要だが、家族を含む幹部たちの「前世」も、その時々の教祖との関係でめまぐるしく「設定変更」される。

霊言という憑依芸が教祖の売り物だが、霊言の前には教祖は一生懸命その人物の資料に目を通していたそうだ。(余談だが、最近田村正和の霊験が出版されていてさすがにあきれてしまった)

どれもこれも、あまりにも予想通りで俗っぽく救いようがない。ただし、しょせん我々不完全な人間のすること。そんなものなのだろう。

 

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