大井川通信

大井川あたりの事ども

ネットオークションで絵を買う

僕は今まで、ネットオークションで版画を買ったことがある。焼き物も買ったことがある。しかし絵画は初めてだ。

版画は中村宏さんのものが二枚。小学生の頃に絵本の挿絵で知って好きになり、その後もいろいろな思い出がある画家だ。ご本人とも特別展中の美術館の喫茶店でしばらく話をしたこともある。焼き物は、幼稚園の先生で後に人間国宝にもなった三浦小平治さんのもの。幼稚園時代、絵を習ったり、園児の作品を窯で焼いてもらったりもした。

コレクターでもないし、第一お金もない。特別にかかわりのあった人の作品を記念に手元に置いておきたいというだけなのだ。それなら絵画はどうなのか。

僕は大学卒業後、就職先の転勤で、北九州市で独り暮らしを始めた。三年で退職して、北九州を引き払う時、思い出の場所を見て回った。磯崎新設計の美術館を訪れた時、たまたまやっていたのが「平野遼の世界展」だった。僕自身の将来もはっきりしない時期だったので、彼の具象と抽象の狭間にあるような力強い作品群に引き込まれた。

その三年後に再び北九州に戻ってからは、平野遼(1927-1992)は地元の画家だから作品を目にする機会はあったと思う。ただ、今回、没後30年の展覧会で、およそ35年ぶりに平野作品をまとめてみることができた。同じ空間で作品の前に立つと、当時の記憶がよみがえってくるようだった。

何気なく検索すると、比較的多くの作品がネットオークションに出品されていて、気に入った一枚は手ごろの価格が設定されている。そして僕が上限と考えていた金額で競り落とすことができたのだ。

絵をお金で買ってみて、その効用を痛感した。小品だから、ごくあっさりと描かれている。もちろんサインはあるが、本物だろうか。なんとなく気に入らなくて疑わしい部分が目だってくる。

僕は最終日にもう一度美術館まで行って、今度は「穴が開く」くらい細かく作品を観察した。特に僕が購入した小品と似ている要素を探して、素人なりに比較検討を加えた。背景が単調なのが気になったのだが、そういう平坦な薄塗りをしている絵もある。人物群のかたまりのとらえ方や、何より達者な線は、美術館の本物と通じるものがある。

まったくの贋作というわけではないだろうと結論づける。もちろん素人の稚拙な判断なのはまちがいないが、ここまで絵を一生懸命みたことは初めてだ。明らかに絵画の購入前に見たときよりも、それぞれの作品に肉薄したという手応えがあった。

 

 

ジェラQ登場

真夏になって家を空けるときには、猫たちのためにクーラーをつけたままにしておくことが多い。日当たりも良く戸締りのため密閉された室内はかなりの高温になってしまうからだ。それでも電気代節約には比較的神経質な僕は、以前だったら猫にために冷房することには違和感があったと思う。今はそれが当たり前と思うのは、猫たちがすっかり家族になったためだろう。

九太郎とボンちゃんの仲は相変わらずだ。ここ数日は、九太郎の方から近づくそぶりをみせるが、いままでさんざん威嚇してきたから、ボンちゃんの方がこわがって逃げてしまう。それでも、二匹で同じ出窓に並んで(しっかり距離はとっているが)日向ぼっこをするくらいの関係にはなった。

この頃の変化でいうと、ボンちゃんが妻になついて、かつての九太郎のように甘えるようになっている。妻の机回りは以前は九太郎の占有地だったが、徐々にボンちゃんも近づくようになった。そうなると、神経質は九太郎は、ボンちゃんにお気に入りの場所を明け渡して、別室でひがんで見せたりするようになる。

女の子で毛並みも良く、ぺちゃんこな顔をしているボンちゃんは、正直なところ九太郎より「かわいらしい」し、天然の甘え上手だ。猫好きな妻は、近づいてくるボンちゃんをどうしてもかわいがる。それを遠くから恨めしそうに見つめる九太郎。

帰省してきた長男が、そんな九太郎をジェラQ(ジェラシー九太郎)と命名した。

九太郎は、先月から急に吐く回数が増えて、心配して動物病院でレントゲン検査をしたり薬をもらったりしたのだが、結局よくはならない。ストレスも要因として考えられるということなので、妻を中心にして家族でできるだけ九太郎をかわいがるようにした。そのかいあって、九太郎の精神状態も安定したらしく、吐く回数もだいぶ減ったようだ。

あきらかに人間に近い九太郎(家族の間では「ほとんど人間」と言われている)が、僕にも気になる存在だ。

 

 

お盆に

お盆の休日に、長男を博多のマンションに迎えに行く。家族四人そろって、妻の親族の墓のある東長寺にお参り。空海が作った古いお寺だが、新しく大仏や五重塔を設けるなど不思議な活気がある。

妻の実家のあった呉服町に車を停めて、幼児の頃遊び場だったという本岳寺に参る。少し歩いて(この辺りはお寺ばかり)、一行寺の夢野久作の墓に家族を案内。知人の実家だというお茶屋さんに寄って冷たいお茶をいただく。通学路沿いの西門蒲鉾で一口サイズのカマボコを買って家族で食べ歩き。この店がチューリップのドラマーの実家でいつも練習していたという妻の定番のネタも、昔のバンド過ぎて子どもの心には響かない。

子どもの頃落ちたというマンホールを子どもに教えたりして、妻もどこか興奮気味だ。自分の育った土地はそういうものだろう。

帰り道、車でかつて住んだ唐原のアパートの横を通って、長男がよく遊んだ(2歳だから彼には記憶はない)公園の近くの入り組んだ高台に入る。車窓から夢野久作の書斎と住居のあった場所を長男に教える。『ドグラマグラ』がここで書かれたんだと。こんなことが、意外と彼の記憶にあとまで残るかもしれないと考えながら。

 

 

芝居でいたたまれなくなる

せっかく舞台をみる勢いがついたところなので、今月も劇場にいく。評価の高い若手の演出家の芝居なので、純粋に楽しもうと思って、予備知識なしにリラックスして望んだ。ところが。

はじまってすぐのあたりは、いかにも新しい感覚の舞台だと興味をもつことができた。女子学生たちが主人公の芝居のようで、同じような白っぽい衣裳の女優たちが、舞台を規則的に駆け回りながら芝居をする。窓枠や壁の枠をもった役者たちも整然と動き回る。体育大学の集団行動みたいでもある。

当然、役柄の個性は薄くなるし、ぶつ切りの芝居になる。セリフも声を張り上げた無個性で情報を届けるだけのものになり、リアルな芝居というより言葉の掛け合いや大勢の唱和がリズミカルに響くが、これはこれで役者たちの規則的な連動性と調和している。

以前みた同じような手法の舞台では、こうした非日常的な舞台上で人間の一生みたいな非日常的で高速な時間進行を描いて面白かった。ところが、今回の舞台ではいっこうに場面が転換しないのだ。ようやく場面が変わったら、こんどは戦場での洞窟の場面になって、おどろおどろしい演出がえんえんと続く。負傷兵が自分の傷に蛆虫がわいていると叫ぶと、背後の映像は大量にうごめく芋虫のものになるといったような。

あとで知ったのだが、これは沖縄戦にかかわった女学生たちの運命を描いた漫画が原作になっていたのだ。戦争や戦場に関する今風な解釈が気になったのだが、これは原作に負っているのだろう。ただし、漫画なら登場人物の感情や関係性を繊細にえがくことができるし、それを見どころにすることができる。

ところがこの劇団の演出法では、舞台上のリアルな出来事の推移や人物同士のやり取りを描くことが不得手だ。その部分を担うのはセリフになるから、いきおい説明的で感情的な(くさい)言葉が、舞台上のやり取りとしてでなく、直接観客席に向かってビシビシと投げ込まれ続けることになる。

洞窟を抜け出した少女たちが、逃げ惑ったり、学校を回想したり、死に向き合ったりする場面が、これまた長々と続くシーンは、正直見ていられないものだった。よく言われるような「芝居がかった」古臭い演劇を観ているようだった。

戦争物の原作の舞台化と演出法とのミスマッチとしかいいようがない。日常の場面も非日常の場面もお構いなしに一定のトーンで女学生が唱和する「いっせいのせ!」が耳障りでしようがなかった。本来なら舞台の世界の独自のリズムを作るものなのだろうが、一方でそれを否定するセリフと演出が観客を直撃しているのだから。

・・・以上が僕のありのままの感想なのだが、ネットで調べると、この芝居はとても評価が高い舞台の再演で、観た人のコメントも絶賛の言葉があふれている。圧倒されたり、感動したりするのが大方の受け取り方のようで、途方にくれる。

 

交渉の得意な女(その2)

次男は、特別支援学校の高等部を卒業して、学校推薦の老人介護施設に勤務して6年目になる。

2年目、3年目の頃までは、人間関係のことなどで壁に突き当たって親が乗り出したこともあったが、ここのところ落ち着いて仕事しているようだった。ただ、勤務が片道1時間半くらいかかる遠方のため、地元の街への転職をそろそろ考えないといけないと思っていた。

最近になって、長く一緒に働いている人との関係がこじれて、本人が仕事に行くのを嫌がりだした。替わったばかりの施設長に電話をすると、その当人と妻が直接電話で話してくださいという。相手にも言い分があり、妻が折れてその場は治まったが、このままでは次男も仕事がやりにくいだろう。

すると、妻は施設長と掛け合って、本社の人事部と直接交渉を行い、次男の同じ街にある施設への転勤を要望したのだという。入社したときから、その最寄りの施設での勤務を希望していたが、規模や定員(職員構成)の関係で難しいと言われたので諦めていたのだ。

なまじ僕のように組織での勤務に染まっていると、組織内にあるだろう諸事情や、現場の頭ごなしに上と話をつけることの弊害が気になって、とてもできない振舞いだ。ただ、妻は、本社での次男の入社式で、会社のカリスマ会長と親しく話したりしているので、その点での気安さはあったのかもしれない。

この要望がすんなりとおり、次男はお盆明けから、地元の街の施設への転勤が決まった。片道30分ほどの通勤時間だ。車なら15分くらいだろう。

新しい職場の施設長との面談があって、介護職として一人前になる心意気が必要であるという話があった。前の職場では比較的簡単な作業に追われていたので、これからの職業人生を考えると、大変には違いないが頑張りがいはあるだろう。

こうして、我が家の大きな課題の一つが、妻の交渉力によって実現することになった。母の力、おそるべし。

 

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岡庭昇のフォークナー論

今回『八月の光』を読むきっかけは、従兄にすすめられたことだったけれども、若いころからフォークナーに挑戦したいと思っていたのは、岡庭さんにフォークナー論があったからだ。岡庭さんは僕の文学の師匠だから、単独の作家論の著作のある椎名麟三、フォークナー、メルヴィル萩原朔太郎安部公房田中小実昌藤沢周平は落とすわけにはいかない。

岡庭さんは、1975年(33歳)の『フォークナー』と2009年(67歳)の『漱石魯迅・フォークナー』とで、二度フォークナーを論じている。後者の方がだいぶわかりやすく論じているが、やはり若いころの端正で緊張感あふれる文体のほうが好きだ。

その全体を理解するためには、すくなくともフォークナーの主著を読み終わらないと難しいが、ここでは初期の岡庭節の魅力のいったんをメモしておきたい。

初期の岡庭さんの評論には、大上段に構えた大風呂敷の魅力というものがある。近代とは、人間とは、悪とは、という大きなテーマに対して、徒手空拳で切り込んでいく。手持ちの武器は、せいぜい初期マルクスの人間論(類的存在論)とか花田清輝の評論や石原吉郎の詩作品くらいにすぎない。

専門学者からしたら笑止千万に見えるかもしれないが、ゼロから立ち上げた観念の大風呂敷で作家を論じ、とにもかくにも個々の作品の細部まで、息の長い文体で論じ切ってしまうという持続力があった。その迫力からくる説得力があった。

これは詩の実作者としての言葉への信頼と、言葉への没入の際立った能力によるものだったと思う。80年代以降の岡庭さんは詩や文学を離れて、与しやすい社会を論ずる(罵倒する)という方向に転換したため、文章がぶつ切りとなり、感覚的な直感からくる断言命題を息長く論じるという美質を失ったしまった気がする。これは後年再び文学を論じるようになっても、回復することはなかったと思う。

フォークナー論においても根底となっている岡庭節を再現してみよう。人間はマルクスがいうように類的な(共同的な)存在だ。しかし、近代においては、言葉や制度は人間を類的に結びつけるものである以上に、人間を傷つけて分断するものに変ってしまっている。すると、人間の類的な本質は、まったく反転したネガの形でしか姿を表せないものとなる。たとえば、それはファシズムにおける民衆の偶像崇拝の形をとる。(『八月の光』におけるグリムやハインズ)

すぐれた文学者は、ネガの世界に憑依しながらも、そこでの自己証明に満足できずに破滅する人物の造形を通じて、あるべき類的本質を取り出そうとする。(『八月の光』のクリスマスやミス・バーデン)

荒っぽすぎるメモだが、今後の読書のために、書きなぐっておくことにしよう。

 

いとこのけんちゃん

僕の育った実家の隣には、おじさん(父の兄)の家があってその家族が住んでいた。正確にいえば、叔父夫婦が家を建てて住んでいた敷地の一部に、父親の結婚をきっかけに家を建てて両親が住むようになったということだろう。専業主婦だった母親が、叔父夫婦と同居していた祖母の面倒をみたり、後には叔父夫婦の子どもたちの子育てを手伝ったりというふうに、両家の間には、敷地が同じ以上の深いつながりがあった。

ただ、土地を間借りしているという立場は、子ども心に微妙で居心地がよくないものだった。社会人になると姉も僕も実家を出て、それぞれ家を持った。両親が亡くなった後の実家は、取り壊しを検討したものの結果的に従兄に使ってもらうための贈与手続きをとることができた。

正直なところ、不動産の権利関係みたいなやっかいなことは、両親の世代で話をつけておいて欲しかったと思う。実際それは両親たちにも難しかったと思う。しかし、経緯がわからない次の世代ではらなおさら内輪もめや喧嘩別れの原因になりかねない。

話し合いが円満にできた背景は、もともといとこ同士の関係が良かったということがある。叔父の家の兄妹と僕の家の姉弟は、子どもの頃からよく遊んで育った。

従兄のけんちゃんは僕より5歳年長で、3歳年長の姉の方が遊んだのかもしれない。ただ、男同士ということもあって、僕の側からのあこがれの気持ちが強かった。

けんちゃんの部屋にある本を読んだり、庭の小屋に保存されたけんちゃんの持ち物で遊んだりした。けんちゃんの作ったロボットの工作を見習って、その仕組みそのままの工作をつくって学校に提出した。天体望遠鏡に憧れたのも、けんちゃんの望遠鏡を手に取ったためだった。

けんちゃんはのちに演劇の世界に入って、小劇場の劇団員を経て、公立劇場の運営の仕事をしながら、演劇評論を書いたり演劇論の講義をしたりした。僕が演劇を観るようになったのも、けんちゃんの影響が大きい。

先月二年ぶりに帰省して、けんちゃんと僕と姉で駅ビルの居酒屋で歓談した。けんちゃんはこの春、公立劇場の館長の仕事を辞めて、読書や執筆に時間をさけるようになったという。フォークナーの『八月の光』が思いの外良かったという話を聞いたから、僕もさっそく読んでみたのだ。ネットで映画を観るようになったと聞いて、僕も真似をして先月から意識して映画を観るようにしている。

小さなころとまるでかわらないと自分でも思う。そうそう、けんちゃんが長くかかわった劇団「黒テント」に関する分厚い研究書も読み通しておかないと。

 

マシュマロヨーグルトとバターごはん

妻はよく「マシュマロヨーグルト」を作る。ヨーグルトにマシュマロを入れただけのもので、次男が好きでよろこんで食べている。もう何年も前からのことなのだが、この手作りデザートの由来を最近初めて知った。

東京の実家に帰省したとき、僕の母親が次男のために作って食べさせていたそうだ。それを真似して妻が作って、次男に食べさせているらしい。(たぶん、妻自身も好きなのだろう)

ちょっとしたことだけれども、誰かの技が残されて、その誰かの痕跡がそれと知らずに受け継がれていくのは面白いと思った。

僕の両親は、戦中戦後の貧しい時代に育ったから、料理については無頓着だったと思う。むしろ簡単に食事をすます工夫を知っていて、父親がたまにバターごはんをつくるのを見ていた。

熱々の白ごはんの中に、バターをひとかけら埋めて、上からお醤油を垂らして食べるのだ。バターが溶けてごはんとなじみ、それを醤油味で食べるのは、けっこう美味しい。

あるときふと、長男がそんなふうにごはんを食べているのを発見した。小さいころから何度も実家に帰省する中で、いつのまにか祖父から学んだのだろう。

 

 

『孤島の鬼』 江戸川乱歩 1930

乱歩の長編の中でも評価の高いこの作品を、僕はまだ学生の頃に読んだ記憶がある。恐ろしくて重苦しい作品という印象だけは強く残っている。なるほど恋人や友人のあっけない死や、たくさんのおどろおどろしい仕掛けがあって、若いころの僕には刺激が強すぎたのだろう。

今読むと、娯楽作品として読める分だけ、思ったより「軽い」印象だった。創元推理文庫では、雑誌連載時の挿絵が全点載せられている。これが雰囲気があってとてもいいのだが、やや漫画的な挿絵が恐ろしさを緩和してしまったのかもしれない。

ただし、ストーリー展開にゆるみはなく、ぐいぐい引き込まれた。特に前半の都会での殺人事件から、後半、絶海の孤島へと舞台を移し、さらにクライマックスで島の地下迷宮が舞台となるという舞台転換の鮮やかさ。推理小説としてもスリラーとしても楽しめる要素を備えている。

途中の様々な思わせぶりな伏線が、最後にはきっちり回収されて納得させられる構成も見事だった。孤島への導入として、蔵にとじ込まれた双生児の稚拙な手記が紹介されるくだりも何とも不思議な気持ちにさせられたし、古風な歌の文句が島での宝探しの手がかりなるというところも後の横溝正史風で趣があった。

探偵役の青年が単に頭脳明晰なだけでなく、生い立ちからの業をかかえて悲劇的な結末を迎えるという設定も小説としても深みを増している感じがする。並みの文学作品には負けないくらい「人間」を深く描けるのが、乱歩の強みだと思う。

 

 

スマホをこわす男

フォークナーを読んで、人間が意識が先回りするままに行動してしまうことや、上の空に何かをしてしまうことの描写にリアリティがあると思った。

僕も実際、何かに夢中になると、あれよあれよを突き進んでしまい、あとから何でこんなことをしてしまったのかと悔やむことがたまにある。

3月にスマホの契約を変えて、機種も新しくした。iPhoneからアンドロイドのしかも格安の機種にしたから、とても使いにくい。妻はそうそうにiPhoneに買い替えたが、僕はまるで使いこなせないままに手元においていた。

ある時、充電器の先(端子というのだろうか)がうまく差し込めないことに気づく。種をあかせば、古いiPhoneの充電器を勘違いして、無理に入れようとしていたようだ。

それでアンドロイドのUSBポートの中を覗き込むと、そこに突起物がある。充電器の端子の先が乙型になっていて、それをくるむように差して充電するしくみになっているのだ。しかし、以前のiPhoneにはこんな突起物はなく、ただの空洞だったから違和感があったのだろう。

なんでそんなことを考えたのか今となってはわからないが、この突起物が何かの関係で間違えて刺さった異物だと思い込んでしまったのだ。妻の工具からニッパやピンセットを借りて、それを引き出そうとしたからたまらない。繊細な部品はすぐに壊れてしまった。

こう書くと本当にバカみたいだが、細かい思い込みや勘違いがつながってここまで突っ走ってしまった。途中で引き返すタイミングはあったはずだが、気になりだすとそれをやってみないとすまない性格(夢中になりやすい)性格が災いしたのだろう。それだけでなく、感情のコントロールが効かなくなる老化が影響している気もする。

翌日には携帯ショップに行って、また面倒な交渉と手続き。やれやれ。

 

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