読書会で高浜虚子の句集を読む。やはり人口に膾炙した名句のいくつかに引き付けられる。教科書やアンソロジーで親しんできた付き合いの深さが、句の理解と関係してくるのかもしれない。その中でも、今回は、この一句が僕の中では圧倒的だった。漢字が難しく振り仮名をいれるとゴタゴタして見えるのが残念。
投げうつ、とは力強い動作だ。静かな観照や挨拶や滑稽やらの器である俳句の中心にこのようなダイナミックな身体所作が据えられるのは珍しいだろう。
しかし、この動詞の一語が、座敷と天井に吊るされた電球、その明かりに誘われて飛び回る虫たち、座敷の外の庭の暗がり、あるいはにぎやかな家族と食事の様子などの舞台を一気に浮かび上がらせて、命を吹き込む。
ところがそれらのにぎやかな舞台装置は、たちどころに後方に追いやられ、黄金虫が吸い込まれる漆黒の闇が主役となって、句の世界が完成する。
僕は昔からこの句を読むと、僕の育った実家の茶の間を思い出す。茶の間には出窓があって、出窓の外は家族が「原っぱ」と呼んでいた雑木林だった。夏になると実際にコガネムシやカナブンが入り込んでくることも多かった。
身近に自然が無く、完全密閉の現代住宅で育つ世代には、もうこの句の情景を味わうことはできないのかもしれない。