大井川通信

大井川あたりの事ども

カブトムシとの別れ

朝には元気だったカブトムシが、深夜帰宅してみると、昆虫ケースの中で仰向けにひっくり返って死んでいた。最後に入れた黒糖ゼリーをほぼ舐め切っているから、死の前まで食欲は旺盛だったのように見える。家に来て二か月。ほぼ天寿を全うして、人間でいえば、ピンピンコロリ、という理想的な往生だったかもしれない。

飼育が長期化してからは、土や枯れ葉の間から見える動かない身体の一部を突いたりして、生きているかどうか確認したりしていたのだが、本当の死はそんなものではないことがわかった。本当に魂が抜けたというような、抜け殻としかいいようのない姿をさらすものだ。

まだ夏の初めの7月21日の早朝、和歌神社の銀杏の大木の根元にひっくり返って、異様なくらい激しく足を動かしているカブトムシを見つけた。神社の境内の地面は雑草もなく平らだから、落ちたまま起き上がることができなかったのだろう。赤味の強い大きな身体の短い角をつまんで、自慢げに家に持って帰った。

考えてみたら、自分の手で捕まえたカブトムシを飼うのは今回が初めてだ。大きめのケースを買い、飼育用の土も枝も枯れ葉も昆虫ゼリーもそろえたから、比較的暮らしやすい環境だったのではないかと思う。めったに構わなかったから、ストレスもなかっただろう。

規格外の大きさかと思っていたが、死んだ身体を計ってみると、角をのぞいた頭部までの体長は、55ミリに少し足りないくらいだった。小学館の図鑑で、カブトムシのオスの体長が30ミリから53ミリと表記されていたことの意味をようやく了解できた。いずれにしろ最大クラスの個体だったのだ。

この二か月は、コロナ感染症からの退院後の激動の時間だった。残りの人生もこの土地で本腰を入れて生きていこうとあらためて決意をした時でもあった。カブトムシやゲンゴロウとの思わぬ出会いは、この土地の神様からのプレゼントだったかもしれない。

庭の隅にカブトムシを埋めて、エサ台の木を仮の墓標にする。来年の夏もまたカブトムシに会えるだろうが、僕にとって特別の夏に出会った彼の存在は忘れられないものになるだろう。