大井川通信

大井川あたりの事ども

『黒島伝治作品集』 岩波文庫 2021

絶版になっていた黒島伝治(1898-1943)の岩波文庫が、新しく編集されて出版された。以前にも書いたが、僕が最近になって黒島伝治のことを気にするようになったのは、代表作「渦巻ける烏の群」の題名によってだった。

ロシアが舞台の小説で、カラスの群れが渦巻くように飛ぶといえば、それは間違いなくミヤマガラスのことを指している。国内のハシボソでもハシブトでもなく、冬に日本に渡ってきて大きな群れで行動し、上空を渦巻くように飛ぶ通称「千羽ガラス」のことに違いない。(今年もそろそろ姿を見せるころだろう)

文学研究者でもおそらく気づいていない事実を、日本海側に居住するバードウォッチャーという地の利を生かしてつかんだことが得意だったのだ。

数年前に、長男の勤務地に近いということで旅行した小豆島が生地だということと、僕と誕生日が一緒だということがわかって、いっそうこの忘れられた作家が身近になった。このタイミングで作品集の新刊である。読まないわけにはいかないだろう。

「電報」と「老夫婦」は、小豆島の村が舞台になっている。村は厳然たる階級社会であって、貧しい百姓の息子は、周囲の圧力で進学を断念せざるをえない。あるいはなんとか工面して進学させた子どもを追って都会に移り住んだ両親も、身を縮めて生きないといけない。「豚群」「岬」では、醬油工場に虐げられる貧しい村人たちのことが描かれている。たしかに小豆島には、古い醤油工場が立ち並んでいた。

大井川歩きでは、かつての村落共同体のよい面、なつかしい面を取りあげがちになるが、実際の村の生活は息苦しく始末におえないような出来事も多かったに違いない。実際に村で育った作家の証言は貴重なものだ。

再読の「渦巻ける烏の群」の他、「橇」や「パルチザン・ウォルコフ」を読むと、シベリヤ出兵時の日本軍が、現地での虐殺や略奪、性暴力に手を染めていたことがよくわかる。なにより、軍隊幹部の人間的な卑劣さ、ゲスさが容赦なく描かれている。これが作者の体験した戦争と人間の実際の姿なのだろう。

小説の構成や描写は、意外なことにモダンで洗練された技術を感じさせるものになっている。