歌人の穂村弘(1962-)のトークイベントに参加した。ビブリオバトルの関連イベントだから、歌の話ではなく、さまざまな本と作家のことを話した。
数百人の読書好きの聴衆(年齢高め)がいたが、ほとんどが僕の様にこの世の事に軸足を置いて、余暇で読書を楽しんでいる人だろうから、読書オタクの王道のような話にどこまで共感できただろうか。
質疑の時間も、穂村さんの短歌の解釈や電子ブックをどう思うかなど、トークの中身とはあまり関係なかった気がする。
僕もとてもついていけない部分が多かったが、やさしく穏やかな語りを聞いている内に、いかにも同世代ならではの話題や感覚が好ましくなってきて、心地よかった。僕にも聞き取れたトークの一部のメモを引用する。
漫画家楳図かずおはいうまでもなく大天才だが、それを共通了解として語れる世代は限られるだろう。彼と楳図かずおとの邂逅は、近年憧れの諸星大二郎と握手した経験のある僕には、とても共感できるエピソードだった。
・本に求めるのは、この世のものでないもの(異世界)の断片、予兆、予感に出会うこと。学校でいえば百葉箱の周辺。この世の事(株価)とかに関心が向かわなかった。
・文豪森鴎外にはいろいろな要素がある。しかし娘の森茉莉には「本当の欲望に向かって言葉を研ぎ澄ます」マイナーポエットの魅力がある。江戸川乱歩のように、文豪でありつつ「この世がこれだけであるはずがない」というマイナーな思いにとりつかれている人もいる。
・楳図かずお、つげ義春、萩尾望都は、マイナーであると同時に世界性をもつ。これは単なる天才以上のプラスアルファが必要だ。例えば天才永井豪には『デビルマン』という代表作があるが、楳図の代表作を選ぶことができない。
・もし楳図かずおが嫌な奴ならどうしようと思っていたが、会った時、お弁当を食べるのが遅いのを詫びられて、天にも昇る気持ちになった。この手が『漂流教室』を描いたとは信じられなくて、握手の手を離したくなかった。
・深沢七郎や尾崎翠のことは嫌いという人がいない。先日尾崎翠の『第七官界彷徨』を嫌いという人に初めて出会って驚いた。一方、久生十蘭と稲垣足穂は、周囲の人間がみなほめるが、自分にはつまらない。ベストセラーになるといいと言いにくいが、東野圭吾の『白夜行』はよかった。