大井川通信

大井川あたりの事ども

一日(ついたち)というもの

一日には、月のあらたまりを頭のどこかで意識しているところがある。

一か月前の9月1日。関東大震災から100年目だから震災の写真集などをめくっていたけれども、仕事の帰り、家の近くの林からいっせいにツクツクボウシの鳴き声が聞こえてきた。そんなことは今年初めてで、暦通りに夏の終わりを感じさせてくれるものだった。

安部さんの一周忌にあたる9月を漠然と目標にしていた遺稿集を、先週バタバタと郵送したり手渡したりして、なんとか一区切りをつけて安心した今朝、いつもの休日のようにファミレスに勉強に行こうと車を出す。

なにげなく車の温度計を見ると、19度。見たこともない低い気温に驚くと、なるほど今日は10月1日。本格的な秋の始まりだ。

安部さんの墓前に報告に行き、先日お供えした遺稿集を用意したジッパー付きの袋に入れなおす。これが目印になれば、お参りに来た人が広い納骨堂でお墓を探しあぐねることはないだろう。

帰り道、一年ぶりに高村光太郎の「秋の祈」を朗唱する。ここ数年、毎年暗唱していたためか、すらすらとでてきて安心した。