ネパール語の学習は、カタカナ発音で覚えて、メモし、それを記憶するという簡易なやり方で進めている。ネパール語は母音の数が多く、カタカナではその違いが表せないから、ローマ字による表記の方がすぐれているという。
ただ、カタカナが中途半端な補助手段でないことがはっきりしているからこそ、メモやノートに頼りきらずに、最終的に自分の「口元」だけを頼りにするという態度の変更を実現することができたのだ。
僕の学生の頃からの英語学習では、書かれたもの(文字、書物)が権威であり、自分の「口元」など不完全でポンコツな再生装置でしかなかったのだ。口元一つでコミュニケーションの場に向き合った時、まったく無力なのは仕方のないことだったのだ。
さて、会話の決まり文句くらいは抵抗なく口にできるようになって、ようやくデバナガリ文字(サンスクリットが綴られる文字)に向き合うことにした。母音と子音の組み合わせで表記するから簡単だそうだが、はじめはそのルールすらよくわからない。ただ、仏教徒の端くれとしても、原始仏教が書きとめられたサンスクリットの文字にはあこがれもある。不思議な曲線の造形は魅力的だ。
ようやく規則性を理解して、短い文章を書いてみる。「ヨ ケ ホ」(これは何ですか?)
文字の一つ一つは何の意味をなさない。文字の練習と、意味のある文章を完成させるのとはまるで違う。自分のペン先から、初めて意味のあるネパール語が姿を現した瞬間には、えもいわれぬ特別な感慨があった。