大井川通信

大井川あたりの事ども

『カレー移民の謎』 室橋裕和 2024

集英社新書ノンフィクションの一冊。新書としては330頁と厚めだし、値段も1300円を超える。しかし、読み応え十分で、ドキュメンタリーのお手本のような作品なんである。(これは冗談。唯一「なんである」という文末の書き癖が気になってしまうのが欠点だった)

ドキュメンタリのお手本だと思う理由は以下のとおり。

多くの日本人にとって、外国人の経営するインドカレー店が大きく増えていることは周知の事実となっていた。僕の住む田舎町でも、近くに似たようなお店が4軒もある。

その一方で、本格的なインドカレーをうたう割には手ごろな値段で提供され、お店で働く人もインド人ではなくネパール人であることに、うすうす何かのカラクリがあることに気づいていた人も多いと思う。

さらに、昨今では不法移民などの問題がクローズアップされるなど、在日外国人に対する関心が高まっているが、彼らの実態に対する情報がほとんどない現状がある。

これらの情報の欠落に見事に対応する形で、本書は執筆されている。

恐らくおざなりな調査でレポートを書くこともできただろうし、それでも一般の情報の欠落にとりあえず応えるものにはなったはずだ。ところが、これほどタイムリーな話題を扱いながら、筆者の姿勢は、実にまっとうで本格的なのだ。

まず筆者が、新大久保に住んで日常的に多くのネパール人経営の店に出入りしており、それをベースに全国に取材対象を広げている点だ。多くの専門家や実践家の協力を仰いでもいる。ネパール人に対する共感をベースとしながらも、その視野は広く、観察は鋭い。

「ネパール人経営のインドカレー店」(通称「インネパ」)の調査にあたって、日本におけるインド料理の源流にまでさかのぼり、新たな食文化として捉える視点を落としていないことも、本書の魅力となっている。

メインは、ネパール人「移民」の経緯と、彼らの現状の暮らしや問題点のレポートになる。これらについて、適度な距離をもった批判的な視点を手放してはいないが、実に丁寧で温かい。筆者が、見せかけの国益を盾にすることなく、あくまでリアルな世界で生き抜く個人のありようから目をそらしていないからだと思う。インネパのカレー店の増加の背景が、あますところなく説得力をもって解明される。

さらには、多くの「カレー移民」を送り出しているネパールの山里バグルンを訪ねることで、著者の筆は文明批評(近代批判)の色あいさえ帯びる。目の前のカレーの一皿から伸びる視線と言葉と行動の広がりに、目くるめく思いがするドキュメンタリの好著だ。

ところで、僕もこの本を読み進めている期間、7軒のインド・ネパール料理店に出入りして食事をし、片言のネパール語で経営者やコックの人とコミュニケーションをとった。その経験込みで、特別な読書体験となったと思う。