正月以来、大井川の周辺を歩いていない。この半年間の学校とその課題は、僕には想像以上の負担になっていた。体調も崩したし、仕事もある。勉強会も地域サークルの仕事も手を抜くわけにはいかない。
早朝涼しいうちに、住宅街を降りて、大井の旧集落へ。秀円寺の裏山で、樹液の流れる木を見つけるが、昆虫はいない。荒れ放題かと思った六地蔵の周辺の草刈りがすんでいる。僕が以前積み上げた頭の落ちた石仏もそのままの姿で佇んでいる。
村の鎮守の和歌神社の様子に驚いた。数年前に村人によって境内と裏山の神木が切り倒されて、工事現場みたいな殺伐とした景色になっていた。しかし自然の修復力はすごい。枯れ木に思われた樹々にも緑が広がり、村の鎮守としての威厳を回復していた。
ただし、注意深く探しても、神木が健在だったころのように境内に大きなカブトムシが落ちていることはなかった。
初詣用に買っておいた小さなお神酒を、和歌神社の社殿に供え、社殿脇の小さなホコラの一つ(国玉神社)にもお供えする。村人の慣例に従って、その場で振り向いて山上のヒラトモ様を遥拝する。
和歌神社を出て少し歩くと、突き当りの大きな木造の玄関で、年配の男性が休んでいる。そこはかつて吉田シゲミさんから聞き取りをした場所だ。大正生まれのシゲミさんからは、戦時中の五社参りの体験を教えてもらった。
シゲミさんはずいぶん前に亡くなったから、おそらく息子さんだろう。挨拶するとはたしてそうで、昭和25年生れだそうだ。念のために聞いたが、やはりヒラトモ様もクロスミ様もご存じでない。炭鉱があったということはご存じだった。
この家から、田んぼの真ん中を突っ切って、「大井戸」の脇を通った先には、川を渡って種つむぎ村がある。久しぶりにアトリエ(旧納屋)の原田さんを訪ねると、相変わらず元気そうだ。シゲミさんの息子さんのことを言うと、俺も25年生れだよ、と。
原田さんはこの間に立派な画集を作っていた。原田さんを小特集した美術雑誌からの出版物になる。年内にはもう一冊別の出版社から出すとのこと。営業の人が話しが上手で、と原田さん。持ち出しのお金がかかるようで、あまり自慢顔ではない。
ただ、15年くらい原田さんを間近で見てきた者としては、やはり形あるものを残せたことに関して素直に喜びたい。定価の代金を払って、購入する。才能と志と特別な知性を持ちながら、誰からも評価されずに消えていく一生も潔くていいが、70代になって粘りに粘り、足搔きに足掻いて、多数の注目を引き寄せた姿も立派だと思う。
しかも一度も「詩を食べる店」という奇妙なコンセプトの看板を下ろしていない。
種つむぎ村で、原田さんのイベントがあるそうでチラシをもらう。いかがわしいセラピストみたいな人との合同企画で、チラシ上の原田さんも調子を合わせたためか、十分にいかがわしい。さすがにこれは参加できない。しかし、こうした俗なる部分も、また原田さんだ。
じわじわ暑くなってきた日差しを避けながら、坂道をのぼって住宅街に戻る。