大井川通信

大井川あたりの事ども

ランドマークとしての神々

国立の実家に帰ると、谷保にでかける。かつて段丘下に田んぼが広がって多摩川まで続いていたのだが、今は住宅街に姿を変えて面影がない。しかし段丘に沿った谷保天満宮の境内だけは、子どもの頃遊んだ姿とほとんど変わらない。

国立は大正時代に街の開発とともに建てられた三角屋根の駅舎があって、その歴史からも場所の中心性からも、街の象徴中の象徴だった。だから、それを壊すなどという選択肢があるとは考えてもみなかった。しかし、中央線の高架工事の関連で、駅舎は取り壊された。保存運動のおかげで部材は保存されて、すったもんだのあげく数年後に少し移して再建されるようだが、それも危うかったのだろう。
神々の住まう聖なる場所の観念なしでは、効率優先のなし崩しの開発に、歯止めは全く効かないのだ。大井川周辺の里山でも、クロスミ様とヒラトモ様のすぐ裏は、無残に切り崩されてミカン畑になり、それが今はソーラーパネルに取ってかわっている。開発がそこで止まったのは、神々への怖れがあったのかもしれない。ソーラー発電のため山のほとんどが崩されて地形が変わったヒライ山には、群集墳はあっても、現役の神の座はなかった。もっとも、小さなホコラ程度があってもポータブル端末扱いだから、場所を移転することにちゅうちょはなかっただろうが。