国立の実家に帰ると、谷保にでかける。かつて段丘下に田んぼが広がって多摩川まで続いていたのだが、今は住宅街に姿を変えて面影がない。しかし段丘に沿った谷保天満宮の境内だけは、子どもの頃遊んだ姿とほとんど変わらない。
国立は大正時代に街の開発とともに建てられた三角屋根の駅舎があって、その歴史からも場所の中心性からも、街の象徴中の象徴だった。だから、それを壊すなどという選択肢があるとは考えてもみなかった。しかし、中央線の高架工事の関連で、駅舎は取り壊された。保存運動のおかげで部材は保存されて、すったもんだのあげく数年後に少し移して再建されるようだが、それも危うかったのだろう。