大井川通信

大井川あたりの事ども

オウム教祖、死刑執行

麻原彰晃らオウム教団幹部の死刑が執行された。早朝から記録的な大雨となり、通勤途上、田んぼのイネもあぜ道も水没して湖面のように広がっていたり、濁流が川岸からあふれそうになったりするのを見て、不安な胸騒ぎのする朝だった。

今まで死刑囚について、麻原ほどマスコミを通じてたくさんの映像や肉声に触れ、生い立ちからその思想や行状にいたるまで情報をもつことはなかった。だから、今回は、死刑という制度が、生きた人間を意図的に殺すことなんだと、はじめて実感したような気がする。死刑制度の当否や死刑判決の正邪はともかくとして。

オウム事件から僕が受け取ったのは、つまるところ、次の三つの問いとその答えだ。初めの二つはありふれたものだが、残りの一つは聞きなれないものかもしれない。

一つ目は、若い「優秀な」信者たちが、なぜ「蒙昧な」オウムを信じたのか、というもの。麻原は鍼灸を学びヨガを実践するなど、身体技術の名手だった。一方、若者たちは頭でっかちに合理的な認識を育んでいても、身体による経験や技術を軽視する風潮の中で育っている。麻原が導く身体経験の迫真にたやすく取り込まれたのだろう。

二つ目は、信者たちは、なぜ「ポア」という殺人に突き進んだのか、という問い。これは、オウムの教義における、あっけないほど単純明快な「死」の定義による。死は、輪廻転生によって次の世界(ステージ)に移行するためのきっかけにすぎない。そして、最終解脱者たる教祖だけは、この輪廻転生の行方を見極め、それをコントロールすることができる。そうであれば、教祖の指示に従うことが、自分にとっても他人にとっても輪廻転生においてよい結果をもたらすことになるだろう。

現代社会は「身体」と同様に、「死」についてもそれを隠蔽しようとしてきた。「死」に免疫のない若者たちは、それと根気よく向き合うことができずに、麻原が断言する、宗教的な粉飾をまぶしたおとぎ話に飛びついてしまったのだろう。

三つめは、麻原がなぜあんな風に壊れてしまったのか、という問いだ。吉本隆明は、麻原が裁判において堂々と自分の宗教的な確信を語ったらどうなるか、と問い、実際にそれを期待した。現世の裁判所は、宗教的な価値観を裁くことができるのかと。(当然ながら、吉本のコメントは世間から多くの批判を浴びた) 普通に考えると、死刑は免れない以上、そうすることが麻原自身にとっても一番都合の良い身の処し方だったはずだ。自分の宗教者としてのプライドも傷つかず、残った信者たちによって死後も名声が保たれるだろうから。

しかし、麻原は、裁判では異常でみっともない振る舞いを繰り返し、弟子からも呆れられ、みずから神格化の道を閉ざしてしまった。当時は刑を逃れるための姑息な戦略とも言われたが、どうやら本当に人として壊れてしまったようなのだ。

教団の内部では、弟子たちは教祖への依存を深めていただろうが、教祖の側も、弟子からの視線や期待によって、自分の存在を作り変えていったのだと思う。ましてオウムは、身体技術による濃密な関係が介在する。通常の組織であったならば、上司と部下の関係がどんなに強いものであっても、その役割から抜け出して、組織の外で個人としての存在を取り戻すことは可能だろう。しかし、オウムの場合、出家組織の頂点にいた麻原の人格は、多数の弟子との関係によって、何重にも編みかえられていたはずだ。こうして麻原をネットワークの頂点とする共同身体性ともいうべきものが成立する。

オウムの暴走の背景には、太田俊寛の『オウム真理教の精神史』(2011)が詳細に分析するような近代批判の諸思潮があるだろう。しかし、これらの諸思潮を受けとめて狂気の実践を行うことは、個々人に担えることではなく、化け物じみた共同身体性の仕業と考えたほうがわかりやすい。

逮捕によって、麻原という頭部は、教団からも弟子たちからも引き離されて、物理的にこの共同身体性からもぎ取られた。頭部だけになった麻原が、意味不明のことをブツブツとつぶやき、やがて全くしゃべらなくなってしまったというのは、(今朝の死刑執行を待たずに)この共同身体の死を意味していたのかもしれない。