大井川通信

大井川あたりの事ども

不動院金堂(禅宗様建築ノート3)

広島の不動院金堂に訪れたのは、もう35年くらい前の話になる。内部の拝観をさせていただいたが、本尊への参拝もそこそこに天井やら柱やら内部架構ばかり見上げていたから、住職に急かされて、ちょっと気まずい思いをしたのを覚えている。

建築書の図版で見る通りの大きな堂で、内部の広々とした空間も見事だったが、そこまで美しいとか、心をとりこにされたという程ではなかった。

同じころ見た中世の国宝建築では、同じ禅宗様の功山寺仏殿(山口)の流麗な美しさや、大仏様の浄土寺浄土堂(兵庫)の圧倒的な内部空間の大胆さの印象の方が強く残っている。だから、不動院金堂をもう一度見たいという強い思いはなかった。

今回、久しぶりに訪問して、想像以上の良さに驚いた。禅宗様建築の魅力の過半は、真正面から見上げたときの躍動感あふれる伸びやかなフォルムにある。和様建築なら味が出るはずの斜め前からの姿は、禅宗様ではなぜか間が抜けて見えることが多い。(もう半分の魅力は、土間から垂直に立ち上がる内部空間の構成の妙だ)

この点で、不動院の伽藍配置が決定的に残念なのは、山門と金堂の距離が近すぎる点だった。もともとは1540年に別の寺院に建てられた建物を、天正年間(1573-1592)に移築したことが関係しているかもしれない。35年前には、そこに何本かの松が生えていて、さらに正面からの眺めを邪魔していた。

ところがどうだろう。今回は、その松が切り払われているために、山門をくぐると、真正面からの姿を存分に味わうことができるのだ。欲を言えば、もう少し遠景からもみたいが、それはぜいたくというものだろう。

二層の屋根が、鳥が翼を広げたように左右に広がるが、上層の屋根のピンと空を突き刺す軒ぞりと、下層の屋根の水平をたもつ軒ぞりのバランスがすばらしい。建物の前面の6本の柱は吹き放しで、独立の柱となっているが、どれも細く列柱としての効果は薄い。なんの意味があるのだろうと見つめていると、突然ひらめいた。

モコシと呼ばれる部分の正面の壁や窓が、一間分だけ後退することになるから、正面から見た場合には堂が引き締まって見えて、その分だけ下層の軒の出がより深く見えるのだ。吹き放しの柱に壁がついていたら、大きな建物だけに、もさっとした鈍重な印象が強くなっていたかもしれない。

屋根材もこけら葺きのため木製で、全体にこげ茶色の精緻な有機体に見えるところは、不動院金堂の方がはるかに大きいとはいえ、正福寺地蔵堂のイメージに一番近いと思った。地蔵堂は僕の禅宗様建築の原体験の建物だから、この金堂に魅かれるのも当然だ。

今回は、内部の拝観はかなわなかった。正福寺だって、まだ内部は見ていないのだ。信仰と文化財を守るためには、そのくらいの厳しさは、むしろ必要だと納得する。