大井川通信

大井川あたりの事ども

日本海海戦記念碑をめぐって④【海と空の博覧会】

★有名建築家との因縁をめぐる調査から、一変、戦前の博覧会のハリボテへの連想とその根底にある呪術的思考への考察へとすすんでいく。こうした飛躍と思弁が、良くも悪くも僕の作文の持ち味かもしれない。

 

【海と空の博覧会】

では記念碑を戦艦の形にしてしまうというのは、正弘氏の独創だったのだろうか。正弘氏は生前、日本海海戦を記念する唯一の記念碑であることを誇っていたようだが、それ以上に戦艦型の記念碑というものこそ、おそらく唯一無二のものであるにちがいない。

しかし、軍艦や軍用機を模したハリボテというものは、戦前に多く開催された博覧会の出し物(パビリオンや装飾塔)として定番だったようだ。

たとえば、1930年(昭和5年)に日本海海戦二十五周年を記念して開催された「海と空の博覧会」では、会場の入り口に軍艦の模型が置かれていた。当時の絵葉書で見る限り、艦橋は正確に再現されているが、船体は艦橋を取り囲む部分に前後が切り縮められ、全体に広告塔のような立ちの高いプロポーションである。

また博覧会の正面アーチの両側には飛行機の模型が取り付けられてプロペラを回転させていた。ただしこれらのハリボテは会期が終われば取り壊されてしまう仮設物だった。正弘氏はそれを、鉄筋コンクリートの記念碑として、未来永劫に形あるものとしようとしたのである。ちなみにこの博覧会には、正弘氏も資料を出品し、主催者の三笠保存会からの謝礼金宮地嶽神社裏に記念館を新築している。

ところで多少飛躍するが『金枝篇』の著者フレーザー(1854-1941)によると、「未開人」の呪術には、似たものは似たものを生み出すという模倣呪術と、かつて接触したものは互いに作用しあうという感染呪術とがあるという。日本海海戦記念碑の造形には、そのような呪術的思考が満ち溢れている。

まず、その全体の形を戦艦三笠の姿に模して、記念碑にその戦勝の力を宿らせようとしている。さらに記念碑の高さ、幅、マストの長さを海戦の記念日(明治38年5月27日)に因んで、それぞれ38、5、27尺にあわせている。【模倣呪術】

記念碑の砲身には、実際に日本海海戦で活躍した戦艦高千穂の本物の副砲を用い、東郷平八郎の筆跡や肖像をブロンズに刻み込む。海戦での捕獲艦沖ノ島が軍用資材として処分されると、その艦材で日本海海戦図を鋳造し、記念碑のすぐ前に設置している。【感染呪術

このような発想は、土俗的、民俗的な感性のなかに今でも強く生き残っていると思うが、現人神を祭り上げて、生死をかけた戦争に突入している時代には、いっそう強くせり出していたものだったにちがいない。