大井川通信

大井川あたりの事ども

ある元教師の話

休日の午後、津屋崎に出かける。地域のセンターで、地元の山笠についての展示がある。コロナ禍で今年は中止らしい。

もう20年以上津屋崎に出入りしているが、地域のお祭りについて関心を持ったことはなかった。漁業、商業、農業を基盤とする三つの地区がそれぞれシンボルカラーを持った山笠(神輿)を走らせて競う、というのは、博多山笠のミニチュアのようで面白そうだ。僕の住む地域にも山笠はあるが、ヤマが一つだけで競う相手がいないのは少し気の毒な感じがする。

目当ての玉乃井がお休みなので、久しぶりに津屋崎の街を歩く。自分の祖母の旧家を改造してコミュニティスペースを開いている店に立ち寄る。主人は、元教師の若い人で、一対一で話すのは初めてだ。感じのいい人だが、なにしろ30歳の年齢差があるから、お互い、どこかとっつきにくさがあるのは仕方ないだろう。

以前、地元の人がフリースクールをつくるという話を聞いていたので、その話題を振ると、自分は積極的にかかわる気はないという。教育大出身の元小学校教師として、堅苦しい学校とは別の自由な教育なら望むところかと思いきや、そうではなかった。

「僕はもうビジネスで子どもとかかわりたくはない」「子どもを嫌いになりたい」と、意外な言葉が飛び出す。彼の店にも子どもたちが自由に出入りしていて、彼は子どもたちと遊んだり、喧嘩をしたり、それで嫌ったり仲直りをしたりする。教師という職業は、建前上、どんな子どもでも嫌いになることができないのだ。

教育を否定するわけでもないし、教師という職業が社会にとって大切なのもわかるが、自分はそういう関わりをしないことに決めたのだという。

自分の経験からつかみとったきた、芯のある言葉だ。にこやかな若者の前で、思わず襟を正す。