大井川通信

大井川あたりの事ども

『教育委員会』 新藤宗幸 2013

学生時代に公民館で地域活動をしているときに、仲間で市の行政の仕組みを勉強しようということになって、教育委員会の制度について図解で説明されたのが印象に残っている。正直、よくわからなかった。

市の教育に関する施策を決定しているのは教育委員会だという。しかし、その委員会が常時開かれているわけではなく、市役所にあるのはその事務局であり、事務局のトップである教育長が在庁している。わからなさの理由は、こんな仕組みのやっかいさにあったような気がする。

この本は、教育委員会制度がよくわからないゆえんを、そしてよくわからないながらとかく批判を受けがちな理由を、戦後改革での成立の経緯にまでさかのぼって解き明かしている。

教科書的な説明はさておいて、著者の論点はこうだ。教育委員会制度の眼目は、政治からの中立性の確保であると、成立の当初から現在にいたるまで議論されている。しかしそれはいわば偽りの問題設定だ。なぜなら、この制度で主導権を握っているのは、教育委員会の事務局であり、文部科学省(政権)、県教委事務局、市町村教委事務局という「タテの行政系列」なのだ。

「タテの行政系列」は、権力行政ではなく指導助言行政であるという制度的な建前のもとに、事細かな中央統制を行っている。政治からの中立などフィクションにすぎない。だから、問題は地方政治からの教育の中立性の確保にあるのではなく、中央と地方を切り離すことで、中央政府から市民の手に教育を取り戻すことだと著者はいう。

まったくの正論だと思う。しかし、身もふたもなくいっていまうと、結局こんなふうに中央集権的な仕組みに落ち着いてしまったのも、中央や文科省の策謀とともに、いやそれ以上に日本人の国民性や文化にあるような気がする。

今、教育現場はまったなしの課題を抱えている。残念ながら、地方在住者として、地方や地域にそれを根本的にとらえて、解決に動き出すだけの主体的な力量があるかどうかは疑わしい。遅きに失したりとはいえ、問題意識が先行しているのは中央だったりもする。こうした現状を前にしては、著者の課題設定は、やや迂遠な理想論にも思えるのだ。