大井川通信

大井川あたりの事ども

『感染症と民衆』 奥武則 2020

副題は、明治日本のコレラ体験。コロナ禍におけるタイムリーな企画ものの新書で、ジャーナリスト出身の学者が過去の研究成果を踏まえて書き下ろしているから、バランスよく読みやすい本になっている。僕には未知で、有益が情報が数多くあった。

コレラ以前には、伝統的に「疱瘡」が怖い伝染病であり、民衆の対応もそれに倣ったものであったこと。インドの風土病だったコレラが世界交通の発達により、19世紀初頭から三回のパンデミックを引き起こし、日本に最初に到達したのは文政5年(1822)で、初めての大流行が安政5年(1855)であったこと。

明治に入ると、明治10年(1877)に最初の流行があり、以後、明治12年(1879)の大流行を経て、明治15、19、23、28年と流行が続いた。当時の致死率は60%超。

初期の流行では、「コレラ騒動」と呼ばれる暴動が発生し、医師や巡査が襲われたり、コレラ患者を隔離する避病院の廃止が要求されたりした。これらは、明治新政府の改革に対する「新政反対一揆」としての側面があるが、著者はむしろ、未知の病に対する国家の医療や公衆衛生の論理と民衆の側の伝統的な知恵や倫理との対立としてとらえるべきであると指摘する。

民衆は、手持ちの神仏や民俗行事にすがって疫病神コレラを追い払おうとするが、これは「コレラ祭」と称される。疱瘡神への対応に倣ったコレラ除けの呪いやコレラ送り等。

大井川流域との関連で言えば、クロスミ様が、流行り病をしずめる為に弘化4年(1847)に祀られているが、この本の記録を見る限り、コレラとは特定できないだろう。明治初めのヒラトモ様の方は、あるいはコレラとかかわりがあるかもしれない。近くにはかつての避病院や焼き場の跡もある。今年になって、クロスミ様の周辺が整備されたのは、人々の間に疫病神の記憶が生きているからなのだろう。

  

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