大井川通信

大井川あたりの事ども

豪雨のお盆

僕の実家には、お盆という習慣はなかった。両親には多少行事ごとがあったかもしれないが、子どもたちにそれが共有されたりその意味が説明されたりすることがなかったのだと思う。

初詣の習慣もまったくなかったのと同じように、戦中派で戦前の神国日本による戦争という極めつけの非合理体験に嫌気がさしていた父親は、妙に科学的で合理的なところがあった。神仏や魂という存在へのアレルギーがあったのだろう。

結婚して妻の実家の墓参りをするようになり、社会人もベテランになると職場の関連で初盆参りをするようにもなった。しかし、我ながらどうも魂がこもっていない。幼いころからその意味が教えられ、習慣化されているからこそ、身体にその意味が血肉化する。僕にとってはお盆はどこまでも他人事の行事だ。

津屋崎の安部さんと話をすると、お盆の行事をかつての安部家の作法の通りていねいにおこなっていて、それがごく自然で当たり前の振舞いになっていることがわかる。それがちょっとうらやましかった。病に倒れて二年目のお盆を安部さんは病院で迎えているが、今どんな思いだろうか。

今年は梅雨が早めに終わって雨が降り足りないせいか、お盆に前線の停滞がぶつかって、珍しく雨が続くようだ。豪雨のさなか、修験の山英彦山の山中の家に初盆参りに出かけた。

前回の豪雨では大変な被害のあった地域なので、ひやひやしながら運転する。英彦山では通行禁止の表示が出ているが、さいわい山の上の降りはそこまでではなかった。大きな屋敷で迎えてくれたご家族は、品と威厳があるようで、さすがに修験道の名山の旧家だと思った。家の庭では、この地方では平地で聞くことができないミンミンゼミの鳴き声が聞こえた。

 帰り、道の駅で、英彦山ガラガラという土鈴の民芸品を買って帰ってくる。